ヴェルディに橋渡しするドニゼッティ円熟期のオペラで歌唱美とドラマティックな表現が融合
飯森範親が指揮する新日本フィルは、短い前奏曲からかなりドラマティックに導いた。それを聴いて、「ベルカント・オペラがこんなに劇的でいいのか」と感じた人もいるだろう。いいのである。「トロメイ家のピーア」を意味するこのオペラの初演は1837年2月。円熟期のドニゼッティは、近未来のヴェルディを彷彿とさせる書法へと転じていた。
旋律の優美さがもっと出る余地はあったかもしれないが、この作品の真骨頂は、重唱や合唱が加わって構成されるシェーナを通じて、ドラマが立体的に描かれる点にある。飯森が指揮する管弦楽は、ベルカント・オペラを超えて要求されるドラマティックな歌唱を支え、ドラマを動かした。アリアや重唱のカバレッタや後奏の胸がすくような速さも、音楽とドラマを引き締めるのに貢献した。
ダンテの「神曲」にも出てくるピーアは、政略結婚で領主ネッロに嫁ぎ、貞淑な妻となった。ところがピーアに横恋慕するギーノは、彼女が不貞を働いているとネッロに言いつけ、怒ったネッロは妻を殺そうと決意。妻が無実と知って助けようとするが、間に合わない――。簡単にいうとそんな筋で、錯綜(さくそう)した状況下で各人物は、不安や疑心、怒りや悲しみを隠さず外に出す。ドニゼッティらしい旋律美のなかに、移りゆく感情を劇的ににじませなければならない所以(ゆえん)である。
ギーノ役の藤田卓也(テノール)は、最初のカヴァティーナから強めの声を流麗に響かせ、カンタービレと強さを両立させる力を示した。続くピーアのカヴァティーナでは、伊藤晴(ソプラノ)が跳躍やコロラトゥーラを交えつつ、やはり管弦楽に負けない強めの声で、囚われの身の弟を思う心情を表現した。この2人の歌は第2幕の二重唱が白眉だった。自分を受け入れれば助けると迫るギーノと、夫への愛を訴えながら真摯(しんし)に応じるピーア。徐々に悔恨へと変わるギーノの心と、彼を許すピーア。ドニゼッティが込めた真実の感情があふれ出た。
また、ネッロはヴェルディによるバリトン役のプロトタイプのような役で、井出壮志朗がやわらかいが芯のある美声に深い感情を込めた。第2幕の妻を救おうと必死のカバレッタは、まさに切迫した心情がヴェルディを思わせる流麗な力強さで示された。
ベルカント・オペラの美しさと、強い感情に沿った劇的な表現。それらが併存するオペラにふさわしく、マルコ・ガンディーニの演出は、装置や衣装もふくめた端正な美しさのなか、音楽の力強さに沿うように人々がバランスよく動かされていた。
(香原斗志)
※取材は11月22日(金)の公演
公演データ
藤原歌劇団創立90周年記念公演・NISSAY OPERA 2024
ドニゼッティ作曲「ピーア・デ・トロメイ」
オペラ全2幕 字幕付き原語(イタリア語)上演
11月22日(金)、23日(土・祝)、24日(日)14:00日生劇場
指揮:飯森 範親
演出:マルコ・ガンディーニ
22日、24日のキャスト ※( )内は23日のキャスト
ピーア:伊藤 晴(迫田 美帆)
ネッロ:井出 壮志朗(森口 賢二)
ギーノ:藤田 卓也(海道 弘昭)
ロドリーゴ:星 由佳子(北薗 彩佳)
ランベルト:龍 進一郎(大澤 恒夫)
ウバルド:琉子 健太郎(西山 広大)
ピエーロ:相沢 創(別府 真也)
ビーチェ:黒川 亜希子(三代川 奈樹)
全日程出演のキャスト
牢番:濱田 翔
合唱:藤原歌劇団合唱部
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。