新国立劇場2024/2025シーズン
ジョアキーノ・ロッシーニ「ウィリアム・テル」(新制作)

日本の聴衆の前に明らかになった「イタリア・オペラの最高傑作」の真価

マリオッティ、パッパーノ……。このオペラは海外で何回も鑑賞しているが、すぐれた指揮者で聴くといつも、オペラの歴史がここで終わっていたとしても、これさえあれば不足はないと思った。ロッシーニの最後のオペラ「ギヨーム・テル」(新国立劇場の表記はなじみやすさに配慮して「ウィリアム・テル」)は、それほどの傑作であるだけに、この日本初演に接するのが怖かった。日本の観客がこの作品をどう受け止めるか、この上演にかかっていたからである。

第1幕。垂直に立つ木々の向こうにアルプスが見える 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
第1幕。垂直に立つ木々の向こうにアルプスが見える 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

序曲を聴いて不安になった。第1幕も同様だった。音楽が流れず、弾まない。もっと劇的なメリハリがほしい。そうでないと観客は、このオペラの卓越性に気づかずに帰宅してしまうのではないか――。第1幕の重要な行進曲とレシタティフ、合唱がカットされていたことも不安につながった。

だが、垂直に立つ木々の向こうにアルプスが見える装置と、群衆の自然な動きがいい。ヤニス・コッコスの演出は納得がいくものだった。そもそも序曲をふくめスイスが描かれているので、舞台設定を変えた瞬間に音楽と情景が齟齬(そご)をきたすのだ。また、第2幕は上から垂直に降ろされる矢印で抑圧された状況が表され、適度にモダンな表現が、ロッシーニの音楽のモダンな響きと相性がいい。

抑圧のシンボルとして垂直に振り下ろされる矢印。適度にモダンな表現が、ロッシーニ音楽のモダンな響きと好相性 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
抑圧のシンボルとして垂直に振り下ろされる矢印。適度にモダンな表現が、ロッシーニ音楽のモダンな響きと好相性 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

さて、苦情も書いてしまった音楽だが、聴き進めても、私の集中力は不思議と途切れない。長丁場だが、長く感じない。第2幕のマティルドが登場したあたりからは、「もっとメリハリがほしい」と感じていた音楽に、私自身が飲み込まれていった。

オルガ・ペレチャツコの声にはマティルド役は少々負担が大きいが、この役の高貴さも、苦悩も、身分を超えた慈愛も、歌ににじませた。一方、テル役のゲジム・ミシュケタはかなり劇的な声だが、この役に必要な端正な表現を心がけ、説得力があった。

しかし、歌手でもっとも強い印象を残したのはアルノルド役のルネ・バルベラだった。テルとの二重唱での悩める若者像、マティルドとの二重唱での不安を交えた甘い響き。いずれも秀逸だが、圧巻は第4幕のエール(アリア)「先祖伝来の住処よ」。成熟して響きを増した声を完璧に制御し、苦悩をにじませながら、決意を高らかに歌い上げ輝かしいハイCを響かせた。

アルノルド役ルネ・バルベラ(左)とマティルド役オルガ・ペレチャツコ(右) 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
アルノルド役ルネ・バルベラ(左)とマティルド役オルガ・ペレチャツコ(右) 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

そこに至るまでに管弦楽はメリハリを増していった。冒頭で述べたようなすぐれた演奏に出会うと、終幕の自由を祈る崇高な賛歌で、必ず涙が止まらなくなるのだが、この日もそうなった。ゲネプロも鑑賞したが、この初日のほうが音楽は確実に雄弁だったから、演奏を重ねるごとにさらに雄弁さを増すのだろう。最終日までにもう一度、この感動を味わいたい。劇場を離れるときは、そんな思いを抱いていた。

(香原斗志)

※取材は11月20日(水)の公演

公演データ

新国立劇場2024/2025シーズンオペラ
ジョアキーノ・ロッシーニ「ウィリアム・テル」(新制作)
全4幕(フランス語上演/日本語及び英語字幕付)

11月20日(水)16:00
11月23日(土・祝)、26日(火)、28日(木)、30日(土)14:00
新国立劇場 オペラパレス

指 揮:大野和士
演出・美術・衣裳:ヤニス・コッコス

ギヨーム・テル(ウィリアム・テル):ゲジム・ミシュケタ
アルノルド・メルクタール:ルネ・バルベラ
ヴァルテル・フュルスト:須藤慎吾
メルクタール:田中大揮
ジェミ:安井陽子
ジェスレル:妻屋秀和
ロドルフ:村上敏明
リュオディ:山本康寛
ルートルド:成田博之
マティルド:オルガ・ペレチャツコ
エドヴィージュ:齊藤純子
狩人:佐藤勝司

合唱指揮:冨平恭平
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

その他、データの詳細は新国立劇場ホームページをご参照ください。
ウィリアム・テル | 新国立劇場 オペラ

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香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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