神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズVol.2 サルヴァトーレ・シャリーノ作曲「ローエングリン」

鬼気迫るリアリティ――苦しみや悲しみに満ちた狂おしい感情の断片を描くシアトリカルな舞台

「ローエングリン」と名前は同じでも、イタリアの現代作曲家、サルヴァトーレ・シャリーノによる現代オペラに、ワーグナー作品の面影を期待すると、肩透かしを食らう。神奈川県民ホールの開館50周年記念オペラシリーズで行われた日本初演は、衝撃の大きいシアトリカルな舞台となった。

シャリーノ作品の原作は劇作家ジュール・ラフォルグが書いた短編で、登場人物はヒロインのエルザのみ。白鳥の騎士物語を解体し、苦しみや悲しみに満ちた狂おしい感情の断片を、せりふや奇妙な声、つぶやきを交えたモノローグで積み重ねていく。
もとはラジオドラマの舞台化には、ヒロインの人選や日本語訳の修辞から始まって、演奏、演出・美術、企画全体の監修まで周到な準備が必要だ。今回は各所に人を得て、高い水準を達成していた。

登場人物はヒロインのエルザのみ。サルヴァトーレ・シャリーノ作曲「ローエングリン」 撮影:阿部章仁
登場人物はヒロインのエルザのみ。サルヴァトーレ・シャリーノ作曲「ローエングリン」 撮影:阿部章仁

エルザ役の橋本愛は、NHKの大河ドラマで大役を務めるなど旬の女優。念入りな作品研究を思わせる役作りで、エルザの精神状況を鬼気迫るリアリティで現出させた。特に声の幅広い表現力が秀逸で、野性味ある怒号から天使のように純真なソフトボイスまで、百面相のごとく激しく移ろうキャラクターを堂々と表出。歌手ではなく女優を想定して書かれたパートに、ぴたりとはまった。

エルザの精神状況を鬼気迫るリアリティで現出させたエルザ役の橋本愛 撮影:阿部章仁
エルザの精神状況を鬼気迫るリアリティで現出させたエルザ役の橋本愛 撮影:阿部章仁

現代音楽に造詣が深い指揮者・作曲家の杉山洋一を迎えたのも大きい。共感に満ちたタクトで、ヴァイオリンの成田達輝を始め名手をそろえたアンサンブルを導き、純度の高い響きを引き出した。映画作家・ダンサーの吉開菜央と、声のアーティスト・美術家の山崎阿弥による演出・美術は、投影などで幻想的な雰囲気を盛り上げる一方、ヒロインを舞台中央に固定して声のドラマに集中させたのが奏功した。

サルヴァトーレ・シャリーノ:「瓦礫のある風景」 撮影:阿部章仁
サルヴァトーレ・シャリーノ:「瓦礫のある風景」 撮影:阿部章仁

前半で日本初演された「瓦礫のある風景」も、シャリーノ固有の音世界に触れる貴重な機会となった。ロシアによるウクライナ侵攻のさなか、リトアニアの音楽祭のために生まれた作品。ショパンのマズルカがばらばらに砕かれ、その痛みが聴き手の胸を刺した。
ショパンの故国ポーランドもかつてロシアの支配下に置かれた歴史を思う時、死と破壊の空虚さを示唆する調べは、聴衆にアクチュアルな重みをもって受容させた。弱音の緊張感を絶やさなかった杉山と合奏陣の努力が報われた。
なお、このホールは来年3月末で休館するため、これが最後のオペラ公演となったのが残念だ。
(深瀬 満)

※取材は10月5日(土)の公演

カーテンコールより 撮影:阿部章仁
カーテンコールより 撮影:阿部章仁

公演データ

神奈川県民ホール開館50周年記念オペラシリーズ Vol.2
サルヴァトーレ・シャリーノ作曲「ローエングリン」

10月5日(土) 17:00、6日(日) 14:00 神奈川県民ホール 大ホール

プログラム
サルヴァトーレ・シャリーノ
:「瓦礫のある風景」(2022年)[日本初演]

:「ローエングリン」(1982-84年)[日本初演/日本語訳上演 ※一部原語上演]
修辞:大崎 清夏 
演出・美術:吉開 菜央・山崎 阿弥
エルザ役:橋本 愛

指揮:杉山 洋一
ヴァイオリン(コンサートマスター):成田 達輝
チェロ:笹沼 樹
コントラバス:加藤 雄太
フルート:齋藤 志野
オーボエ:鷹栖 美恵子
クラリネット:田中 香織
打楽器:新野 将之

その他の出演者、公演データの詳細は神奈川県民ホールのホームページをご参照ください。
サルヴァトーレ・シャリーノ作曲『ローエングリン』|神奈川県民ホール (kanagawa-kenminhall.com)

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深瀬 満

ふかせ・みちる

音楽ジャーナリスト。早大卒。一般紙の音楽担当記者を経て、広く書き手として活動。音楽界やアーティストの動向を追いかける。専門誌やウェブ・メディア、CDのライナーノート等に寄稿。ディスク評やオーディオ評論も手がける。

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