新国立劇場 2024/2025シーズン開幕公演
ヴィンチェンツォ・ベッリーニ「夢遊病の女」(新制作)

卓越した指揮に導かれ心情が豊かに描かれた圧倒的な声の饗宴

音楽がはじまる前から、夢遊するアミーナの周りをダンサーたちが囲む。自身の行動を制御できないアミーナの心中を表すのだろうか。舞台中央には高く伸びる1本の針葉樹。おそらくアミーナとエルヴィーノの結婚を祝福する一対の人形がぶら下がるが、舞台全体の色彩と同様、明るくない。村の人たち(合唱)も動きが抑えられ、祝福ムードは感じられない。

バルバラ・リュック演出のベッリーニ「夢遊病の女」では、舞台全体の色彩が明るくなく、アミーナとエルヴィーノの結婚への祝福モードは感じられない 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
バルバラ・リュック演出のベッリーニ「夢遊病の女」では、舞台全体の色彩が明るくなく、アミーナとエルヴィーノの結婚への祝福モードは感じられない 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

だが、これで、ト書きどおりの演出では見過ごされがちな、主役2人の心の微妙な揺れが浮上する条件が整ったともいえる。新国立劇場での上演はこのシーズン開幕公演がはじめてとなるベッリーニは、長くて優美な旋律に人物の心情を閉じこめた。湧き上がる心が旋律になったと言い換えてもいい。

アミーナは登場のカヴァティーナから、心の揺れを旋律に深く刻む。1995年生まれのクラウディア・ムスキオは20代だが、少し陰ったビロードのような声をやわらかく操る。指揮のマウリツィオ・ベニーニから、旋律に込めるニュアンスについて微に入り細に入り指示を受けたと思われるが、強弱を自然に、無段階に変化させる。声の接続が乱れる箇所もなくはないが、大器である。

一方、エルヴィーノのアントニーノ・シラグーザは10月5日に還暦を迎えるが、声で見事に若者になる。少し頭声を加えながら、やはり旋律に無限の変化をつける。高いドの音が少し細くなったが、ベルカント時代に求められた多彩なニュアンスが表現される。

ベニーニは、とにかくこの2人にたっぷり歌わせる。これだけテンポを伸縮させ、強弱に変化をつけて歌うのは至難だが、30歳以上年が離れたカップルは、難しさを聴き手に少しも感じさせずに見事に旋律を紡ぎ、自然に声を重ねる。しかも美しさの背後に、たがいの心の揺れやズレを微妙に漂わせるのである。

クラウディア・ムスキオとアントニーノ・シラグーザ 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
クラウディア・ムスキオとアントニーノ・シラグーザ 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

むろん、声によるニュアンスの変化だけではドラマはまとまらない。ベニーニは管弦楽や合唱の色彩を声にからませ、ドラマの輪郭を浮き立たせるように要所を締める。だから音楽全体に生命が息づく。ロドルフォ伯爵役の妻屋秀和の端正な歌唱もそこに貢献する。

第2幕はシラグーザの高音も改善され、誤解による2人の心のズレも相まって、声の饗宴に力強さも加わった。だが、誤解が解けて急速にハッピーエンドに向かうはずが、演出のバルバラ・リュックはそうはさせない。だから、アミーナのアリア・フィナーレは幸福な音楽に不安感も漂った。

結果、ドラマが立体感を帯びたともいえる。だが、舞台上に置かれた小屋の、高所にせり出した狭い軒先で歌ったムスキオは、少し怖かったのではないか。歌唱のスケールがやや小さくなったのが惜しまれた。(香原斗志)

※取材は10月3日(木)の公演

小屋の、高所にせり出した狭い軒先で歌うムスキオ 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
小屋の、高所にせり出した狭い軒先で歌うムスキオ 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

公演データ

ヴィンチェンツォ・ベッリーニ「夢遊病の女」(新制作)
全2幕 イタリア語上演/日本語及び英語字幕付

10月3日(木)18:30、6日(日)14:00、9日(水)14:00、12日(土)14:00、14日(月・祝)13:00 新国立劇場 オペラパレス

指 揮:マウリツィオ・ベニーニ
演 出:バルバラ・リュック
ロドルフォ伯爵:妻屋秀和
テレーザ:谷口睦美
アミーナ:クラウディア・ムスキオ
エルヴィーノ:アントニーノ・シラグーザ
リーザ:伊藤 晴
アレッシオ:近藤 圭
公証人:渡辺正親
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

その他、データの詳細は新国立劇場ホームページをご参照ください。
夢遊病の女 | 新国立劇場 オペラ (jac.go.jp)

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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