きらきらと放射する陽の気をもつ指揮者、エメリャニチェフが舞台を幸福感で包む
東京での、マクシム・エメリャニチェフ指揮による読響2回目のコンサート。今回はメインに、彼のいわゆるお国もの、リムスキー=コルサコフ作品が据えられた。
幕開きは序曲「ロシアの復活祭」。タイトなスーツに身を包んだ長身が、ひらりと指揮台に舞い上がる。棒を持たないしなやかな手が、木管楽器群の「ファファファミレー」をふわりとすくい出す。すると全員が、音の重みを「ミレー」に向ける。かと思ったら同じ手が、こんどは4分休符をくるりと巻きあげる――ロシア聖歌の抑揚と間はまさにこうでなくては!と、誰もが感じ入ったことであろう。
膝のバネをよく使い、ときに腕を激しく振り回す様は、クルレンツィスとノセダとゲルギエフを足して3で割ったよう。それに踵を軸に舞うロトのスタイルを加味したとでも言おうか。生き生きとした弾力。意識のかよった呼吸。鮮やかなコントラスト。そういったものを、エメリャニチェフも、彼ら先輩指揮者たちと共有している。だが、あのきらきらと放射する陽の気は、彼独特のものだ。ヴァイオリンを両翼に、コントラバスを正面最後列に配す古風な構えと、その若々しい華やぎが、ある種のギャップを生んでおもしろい。
もっとも、そんな彼の意欲に、楽団が常に乗っていたかどうか? 後半の交響組曲「シェエラザード」では、コンサートマスター(当夜は伝田正秀がゲスト出演)の独奏をはじめ、各セクションからソロイスティックなパッセージが頻出する。彼らは皆、ほれぼれとするような名技を披露していたが、リスクをも賭した120%のプレイがなかったあたりに、そんな疑念をかすかに抱いた次第。それでも第3楽章の中間部は、すべてが乗った瞬間だったろう。小太鼓とクラリネットの微かな弱音から音楽が徐々に膨らんでゆき、舞台が幸福感に包まれ旋回するようだった。
なお、前半2曲目には、アルテュニアンのトランペット協奏曲があった。技量をひけらかさず、オーケストラに溶け込むようなセルゲイ・ナカリャコフのソロが素晴らしい。
(舩木篤也)
公演データ
読売日本交響楽団 第675回名曲シリーズ
9月13日(金)19:00サントリーホール
指揮:マクシム・エメリャニチェフ
トランペット:セルゲイ・ナカリャコフ
管弦楽:読売日本交響楽団
プログラム
リムスキー=コルサコフ:序曲「ロシアの復活祭」作品36
アルテュニアン:トランペット協奏曲
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35
ソリストアンコール
J. S. バッハ:G線上のアリア(トランペット:ナカリャコフ、チェンバロ:エメリャニチェフ、読響弦楽器セクション)
ふなき・あつや
1967年生まれ。広島大学、東京大学大学院、ブレーメン大学に学ぶ。19世紀ドイツを中心テーマに、「読売新聞」で演奏評、NHK-FMで音楽番組の解説を担当するほか、雑誌等でも執筆。東京藝術大学ほかではドイツ語講師を務める。共著に『魅惑のオペラ・ニーベルングの指環』(小学館)、共訳書に『アドルノ 音楽・メディア論』(平凡社)など。