ムーティの指導で驚くべき表現力を身につけた演奏家たちの豊かな演奏
9月3日に始まったアカデミーでムーティの薫陶を受けた4人の若手が順番に指揮台に登ったが、ウィリアム・ガーフィールド・ウォーカーが担当したプロローグから、東京春祭オーケストラが奏でるのは、徹底してムーティの音だった。この9日間に、指揮者とともに管弦楽がいかに鍛えられたかを物語っていた。そして、合唱と一体となった濃密な響き。オダベッラのカヴァティーナにしても、「ブンチャッチャ」と揶揄されがちなオーケストレーションが、どれほど豊かな表情を浮かべ、魂そのもののように細やかに息づいていたことか。
歌手も同様だ。オダベッラ役の土屋優子は、イタリアで活躍する優れたドラマティックソプラノで、やや力まかせでニュアンスに欠けるのが惜しいと思っていたが、ソットヴォーチェを巧みに加えて柔軟に歌うから驚いた。第1幕のロマンツァも、濱松孝行のフォレストとの二重唱も、弱音中心の微妙な心情表現が冴えた。この二重唱のカバレッタは勢いよく歌われることが多いが、男女の心が重なり合うとこうだよな、と思わされる甘さとやわらかさを湛えて目から鱗が落ちた。
土屋はアジリタの精度も高まり、表現力があきらかに一段高いフェーズに移った。濱松も高音に弱点はあるものの、声を徹底してやわらかく色彩豊かに響かせ、品位も加わる。
何度かリハーサルを見学したが、ムーティはヴェルディの意図に忠実で、ひいてはすべての発想記号を疎(おろそ)かにしない。だから歌手にとっては、フレーズを作るのに通常の何倍も骨が折れる(オーケストラにとっても同様だ)。しかし、その効果は絶大というほかない。エツィオを歌った上江隼人はすでに日本を代表するヴェルディ・バリトンだが、まちがいなくレガートが一段と洗練された。それがムーティの力である。アッティラの北川辰彦は、この役には声力が弱いもののスタイリッシュで、それもムーティの力に負うものだろう。
指揮は第1幕を担当した岡本陸が、力感には多少欠けるがていねいな描写。続いて第2幕を担当したミシェル・ブシュコヴァはモスクワ出身の若い女性で、デュナーミクの幅が広く非常に躍動的だが、まったく乱れがなく引き締まっている。若いころのムーティを思わされた。第3幕はシャオボー・フーが、躍動感には欠けるが均整のとれた音楽を聴かせた。
「アッティラ」は1年後に初演された「マクベス」にくらべると、剛毅さが強調された粗削りの作品と思われている。そういう演奏が多いからだが、実は、人間感情の複雑な交錯や浮沈が描かれている点で「マクベス」に近い。ムーティはそのことを、ヴェルディの意図を示しながら教えてくれる。そういう視野を提供されたうえでの実践は、若い演奏家たちには一生の財産になっただろう。彼らの今後の演奏と同時に、ムーティ自身が指揮する「アッティラ」が楽しみで仕方なくなった。
(香原斗志)
公演データ
リッカルド・ムーティ presents 若い音楽家による「アッティラ」(演奏会形式/字幕付)
9月12日(木)19:00東京音楽大学 100周年記念ホール
指揮:
ウィリアム・ガーフィールド・ウォーカー(プロローグ)
岡本 陸(第1幕)
ミシェル・ブシュコヴァ(第2幕)
シャオボー・フー(第3幕)
アッティラ(バス・バリトン):北川辰彦
エツィオ(バリトン):上江隼人
オダベッラ(ソプラノ):土屋優子
フォレスト(テノール):濱松孝行
ウルディーノ(テノール):大槻孝志
レオーネ(バス・バリトン):水島正樹
管弦楽:東京春祭オーケストラ
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:仲田淳也
プログラム
ヴェルディ:歌劇「アッティラ」(プロローグ付全3幕)
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、「イタリア・オペラを疑え!」(アルテスパブリッシング)。ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」、「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。