ロベルト・アラーニャ 
ソロコンサート 〝アラーニャ、降臨〟

魅惑の声と柔軟な表現力でプッチーニの全アリアを見事に歌い分けた

18年ぶりの来日で、すでに61歳。だから、名声は認めても期待はほどほど。そんな聴衆が多かったように思う。暴露すれば、私自身、これほどの歌が聴けるとは思わなかった。

 

しかし、最初に歌われたプッチーニの処女作「妖精ヴィッリ」のアリアの第1声から、みずみずしい40代の声だった。哀愁あふれる旋律に光沢のある声がみなぎり、フレージングが活き活きとして、強音も自然に響く。2曲目の「エドガール」のアリアは一転、かなり劇的だが、潤いのある声で旋律美と激情が高度な均衡を得る。魅惑的な声を活かしながら適切に歌い分け、それぞれがその作品の雰囲気をまとう。

みずみずしい40代の声を披露したロベルト・アラーニャ©Tomohide Ikeya
みずみずしい40代の声を披露したロベルト・アラーニャ©Tomohide Ikeya

今年が没後100年のプッチーニがテノールのために書いたアリアをみな歌う――。そんな意欲的な試みなので、最初から飛ばして大丈夫か、と心配したが杞憂だった。「マノン・レスコー」だけで3つのアリアを歌ったが、〝何とすばらしい美人〟の甘い旋律を、圧の強い優美な声で満たしたと思うと、第3幕のアリアでは激しい感情を充満させ、いずれも歌い崩しがまったくない。

 

後半はまず「ラ・ボエーム」の〝冷たい手を〟。高いドを避けるために半音下げる、ということもなく、ポルタメントを優雅に駆使してやわらかく歌われた。しかも、間を置かずに「トスカ」の〝星は光りぬ〟で、哀惜の情を激しく表出する。その後も、「蝶々夫人」の〝さらば、愛の家〟で柔弱さを表現すると、すぐに「西部の娘」の〝やがて来る自由の日〟を剛毅に構築する。異なるタイプの曲を、それぞれの特徴を損なわずに魅惑の声で満たし、常にエレガンスが加わる。特別な声、歌唱の柔軟性、傑出した歌心、高い音楽性。そのいずれが欠けても不可能な表現だった。

 

プログラムの最後、〝誰も寝てはならぬ〟は余裕をもってたっぷりと歌われ、会場は総立ちで拍手を送ったが、まだ歌っていない曲も。「つばめ」「外套」、「トゥーランドット」の〝泣くなリュー〟、「ジャンニ・スキッキ」はアンコールで歌われた。しかも、「つばめ」は叙情的で、〝泣くなリュー〟は構築的。「外套」は表現主義的でさえあり、「ジャンニ・スキッキ」はみずみずしい(歌われなかったのは「トスカ」の〝妙なる調和〟だけか)。

 

理想的に歳を重ねている。いや、まったく年齢を感じないといったほうが正確か。最後まで変幻自在で、いくつものオペラを味わったような充足感すら覚えた。

(香原斗志)

6月7日が誕生日のアラーニャに、サプライズで「ハッピーバースデートゥーユー」の演奏と花束が贈られた©Tomohide Ikeya
6月7日が誕生日のアラーニャに、サプライズで「ハッピーバースデートゥーユー」の演奏と花束が贈られた©Tomohide Ikeya

公演データ

ロベルト・アラーニャ ソロコンサート〝アラーニャ、降臨〟

2024年6月9日(日) 13:30サントリーホール 大ホール

指揮:三ツ橋敬子
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

プログラム
THE GREAT PUCCINI ~プッチーニ没後100周年 スペシャル・プログラム~

プッチーニ:
歌劇「妖精ヴィッリ」より〝幸せにみちたあの日々〟
歌劇「エドガール」より〝快楽の宴、ガラスのような目をしたキメラ〟
歌劇「マノン・レスコー」より〝栗色、金髪の美人の中で〟〝何とすばらしい美人〟〝ご覧下さい、狂った僕を〟
歌劇「ラ・ボエーム」より〝冷たい手を〟
歌劇「トスカ」より〝星は光りぬ〟
歌劇「蝶々夫人」より〝さらば、愛の家〟
歌劇「西部の娘」より〝やがて来る自由の日〟
歌劇「トゥーランドット」より〝誰も寝てはならぬ〟 

アンコール
プッチーニ:歌劇「つばめ」より〝パリ!それは欲望の町〟
プッチーニ:歌劇「外套」より〝お前のいう通りだ〟
プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」より〝泣くな、リュー〟
プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」より〝フィレンツェは花咲く木のように〟

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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