ウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサン《ヨハネ受難曲》

老境に達したクリスティの静かで深い祈りが込められた《ヨハネ受難曲》

いつもなら春先、復活祭(イースター)の季節の定番であるキリストの受難曲が生誕を祝うクリスマス直前に演奏されること自体がまれなうえ、前日の仁川(韓国)と東京の連日マチネ2公演だけという突貫アジアツアーの日程も異例だ。冒頭の合唱が妙に雑然、ドイツ語も不明瞭な混濁で始まった瞬間には「さすがに疲れているのか」と心配したが、次第に調子を上げ、精度と発音の明瞭度を高めていった。

レザール・フロリサン (C)大窪道治 写真提供:東京オペラシティ文化財団
レザール・フロリサン (C)大窪道治 写真提供:東京オペラシティ文化財団

来月で79歳になるクリスティの指揮はまろやかさを増し、ピリオド楽器アンサンブルの音色も玲瓏(れいろう)な切れ味より、ダークな温かさが勝る。弦の合奏を控えめとし、鍵盤楽器(ポジティフオルガン&チェンバロ)とヴィオラ・ダ・ガンバ、チェロ、コントラバス、リュートの通奏低音チームの5人が劇的効果を高め、管楽器が彩りを添えるのはドイツ系のアンサンブルにはないバランス感覚だ。

指揮者のウィリアム・クリスティ (C)大窪道治 写真提供:東京オペラシティ文化財団
指揮者のウィリアム・クリスティ (C)大窪道治 写真提供:東京オペラシティ文化財団

福音史家(エヴァンゲリスト)のフランス人テノール、ライモンディはデビュー間もない若手ながら確かなドイツ語のディクション、艶と厚みのある美声で物語の進行をつかさどる。ソロではアルトのチャールストン、ソプラノのトーマスが優れ、ピラトのワレンジクも堅実だった半面、イエスの重責を担うローゼンの歌は頼りなく、音域ごとの音色が一定しないのが気になった。福音史家以外の歌手は合唱も兼ねて声楽パートの一体感を高め、イエスやピラトと福音史家の立ち位置にも控えめながら一定の演出が考慮されているので、聴く側も自然に受難劇の世界に溶け込める。老境に達したクリスティの静かで深い祈りは、最後の力強いコラールではっきりと前面に出た。今、この瞬間の世界に向け、「ヨハネ受難曲」を奏でる意義を居合わせた誰もが実感した。
(音楽ジャーナリスト 池田卓夫)

公演データ

ウィリアム・クリスティ/レザール・フロリサン《ヨハネ受難曲》

2023年11月26日(日)15:00 東京オペラシティ コンサートホール

プログラム
J.S.バッハ:ヨハネ受難曲 BWV245[日本語字幕付]
指揮:ウィリアム・クリスティ
テノール/エヴァンゲリスト:バスティアン・ライモンディ
バス/イエス:アレックス・ローゼン
ソプラノ:レイチェル・レドモンド
ソプラノ/女中(レイチェル・レドモンドから変更):ヴァージン・トーマス
アルト:ヘレン・チャールストン
テノール:モーリッツ・カレンベルク
バス/ピラト:マチュー・ワレンジク
管弦楽&合唱:レザール・フロリサン

池田 卓夫
池田 卓夫

いけだ・たくお

2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。

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