<第37回>グレゴリー・クンデ(テノール)

グレゴリー・クンデ (C)Chris Gloag
グレゴリー・クンデ (C)Chris Gloag

万全のテクニックを土台に声を成長させ
古希が近づいても衰えない奇跡のテノール

実際、80歳を超えて歌いつづけている歌手もいて、それにくらべれば若いかもしれないが、グレゴリー・クンデの場合、条件が違う。非日常的な声域で歌うテノールのまま、しかも輝かしい高音を維持したまま、いまなお第一線で歌っているのである。アメリカのイリノイ州に生を受けたのは1954年2月24日だから、69歳になる。

 

この4月18日、ローマ歌劇場でミケーレ・マリオッティが指揮するプッチーニの三部作の第一作「外套」を鑑賞した。伝馬船(てんません)の船長の妻と不倫をして殺されてしまうルイージ役がクンデだった。じつをいえば、クンデの年齢を考え、はたして歌えるのかと不安だった。しかも、台本で20歳と指定されている役を古希が近い歌手が歌うのは、いくらなんでも無理があるのではないか、と考えていた。

 

しかし、終演後には満足感しかなかった。声を聴いているかぎり、衰えが感じられないどころか、むしろ若々しい声による凛(りん)としたフレージングと、ストレスなく響く高音に圧倒され、自然にドラマに引き込まれた。「年齢が高いのにかんばっている」という特別な存在感はなく、聴いていると年齢を忘れる。いうまでもなく、そのほうがはるかに特別である。

モーツァルト歌手からドランマティコへ

クンデは新国立劇場に出演したことがある。2000年1月、役は信じがたいかもしれないが、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」のドン・オッターヴィオ。以前のクンデは声が軽やかで、装飾歌唱も巧みなベルカント・テノールだった。2003年にペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)で聴いた「セミラーミデ」のイドレーノ役でも、アジリタをシャープに歌いこなしていた。

 

驚いたのは2007年のROFで、バリトンのような声をもつバリテノーレの役である「オテッロ」の表題役を、たしかな技巧に支えられながら劇的に歌いこなしたときだった。クンデの声は明らかに強く、大きくなっていたが、高いレ(D)まで軽く届き、装飾歌唱も鮮やかで、声と同時にテクニックにも感嘆した。

 

しかし、もっと驚いたのは、同じ「オテッロ」でも、とりわけ強靭(きょうじん)な声が必要なヴェルディのそれを歌ったことだった。それは2013年にヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場の日本公演、続いて2019年に英国ロイヤル・オペラの日本公演でも披露され、ベルカントの延長で歌われたスタイリッシュな表現に心を打たれた。この役はこういう歌唱で聴きたいと。

 

クンデの声が発展を遂げながら、なお衰え知らずなのは、ポテンシャルの高い声を盤石な技術で支えながら、時間をかけてていねいに育ててきたからだろう。それにしても、この年齢で20歳の役を違和感なく聴かせられるのは、人並を超えたテクニックを駆使して声を守り、一切の無理を排除してきたからに違いない。彼のテクニックにも姿勢にも敬意を表したい。

 

今年7月23日、27日、31日にも、チョン・ミョンフン指揮の東京フィルによる演奏会形式のヴェルディ「オテッロ」で表題役を歌う。ローマの「外套」を聴くまでは、「大丈夫だろうか」と思っていたが、まちがいなく大丈夫である。このテノールが呼び込むべくして呼び込んだ奇跡を堪能したいものだ。

香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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