<第36回> ユシフ・エイヴァゾフ(テノール)

ユシフ・エイヴァゾフ (C) Vladimir Shirokov
ユシフ・エイヴァゾフ (C) Vladimir Shirokov

「ネトレプコの夫」の形容はもう不要
 世界最高峰の声力を誇る大テノール

アンナ・ネトレプコの旦那であるのは事実で、数年前まではそう冠して語られるのが常だったが、もはやそんな形容は要らない。

 

今年3月15日、サントリーホールでネトレプコと一緒にコンサートを行ったが、現代を代表する大テノールのパフォーマンスだった。「ランメルモールのルチア」の二重唱で流麗なベルカントを、「アイーダ」の〝清きアイーダ〟では、制御が行き届いた内省的な表現を聴かせた。「ラ・ボエーム」の〝冷たい手を〟では叙情性が横溢(おういつ)し、身体を1回転させて全客席に正面からハイCを届ける離れ業も。「蝶々夫人」の二重唱では、その瞬間には真実の愛があったのだ、と聴き手を信じさせる理想のピンカートンだった。

 

2016年3月、同じサントリーホールでネトレプコと歌ったときは、「仏作って魂入れず」ということわざが真っ先に頭をよぎる歌だった。アゼルバイジャンで生まれ、イタリアで学んだエイヴァゾフの声量は圧倒的で、ハイCを延々と引っ張り、非凡な才能であることは伝わった。一方、声力があるだけに、上辺の表現にとどまって精神性に欠けることが、なおさら強く感じられた。

 

しかし、いまは違う。どのアリアも二重唱も当該の役になっている。精神性がにじむようになっただけではない。たとえば〝清きアイーダ〟。平板に力強く歌われがちなこのロマンツァに、ヴェルディはどれほど細かく表情記号を付していることか。多くのテノールはそれを無視して、あるいは、表情を加えたくても加えることができずに歌っているが、エイヴァゾフにはヴェルディの指示を守って声を制御する力がある。

 

作曲家の要求に応える力と、トータルとして歌からにじみ出る精神性の双方が、ここ数年間でエイヴァゾフに備わった、ということである。

アクロバットと精神性の両立

それは妻であるネトレプコから受けた薫陶の結果だろうか。だが、そうではないと本人は語る。

 

「私は声のテクニックの探求にずっと情熱を注いでいて、いまも決して歩みを止めず、実験を続け、前進し、声の新たな可能性を模索しています。アンナと一緒に舞台に立ち、彼女から学ぶことはありましたが、彼女は私にアドバイスをしたことも、私と一緒に勉強したこともありません。彼女は教えないし、教え方も知りません」

 

むろん、世界最高峰のソプラノが常に近くでお手本を示してくれる影響は大きいに違いないが、エイヴァゾフにはみずからが自立して学んでいるという意識が強い。こうして主体的だからこそ、歌が磨かれていくのだろう。

 

ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、英国ロイヤル・オペラ・ハウス、パリ・オペラ座など、錚々(そうそう)たる劇場に単独で、しかも頻繁に呼ばれるエイヴァゾフは、とにかく聴衆を沸かせる。「イル・トロヴァトーレ」の〝見よ、恐ろしい火を〟で、スコアにはないハイCを後奏が終わるまで引っ張り、「トゥーランドット」の〝誰も寝てはならぬ〟のハイHをパヴァロッティ以上に長く引き伸ばす――。そんなアクロバティックな技をこなせるテノールは、いまほかにいない。

 

そのうえ精神性も、となれば世界が放っておくわけがない。

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香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、「イタリア・オペラを疑え!」(アルテスパブリッシング)。ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」、「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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