偉大な系譜に名乗りを上げるスカラ座のプリモ・バリトン
カップッチッリ、ブルゾン、ヌッチと続いたイタリアの「正統的」バリトン。その地位に最も近いのがルカ・サルシであるのは、衆目の一致するところではないだろうか。
たとえばミラノ・スカラ座。2021/22シーズンの開幕公演、ヴェルディ「マクベス」の表題役はサルシに任され、その2つ前のシーズンもサルシがスカルピアを歌う「トスカ」で開幕した。このイタリア・オペラの殿堂のプリモ・バリトンとしての地位は揺るぎない。
ほかにもメトロポリタン歌劇場、ウィーン国立歌劇場、英国ロイヤル・オペラ・ハウス、バイエルン州立歌劇場、マドリード・レアル劇場など、主要劇場での予定が引きも切らない。そして冒頭に挙げた3人同様、ヴェルディを歌う機会が多くを占める。
「マクベス」のほか「ナブッコ」、「2人のフォスカリ」、「アッティラ」、「ルイザ・ミラー」、「リゴレット」、「イル・トロヴァトーレ」、「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」、「シモン・ボッカネグラ」、「仮面舞踏会」、「アイーダ」、「オテッロ」、「ファルスタッフ」。王道である。
北イタリアの、ヴェルディの故郷も属するパルマ県で生まれ育った。パルマの音楽院で学ぶとともに往年のバリトン、カルロ・メリチャーニに師事。舞台デビューは1997年、ボローニャ歌劇場のロッシーニ「絹のはしご」で、22歳のときだった。そして2000年、北伊ヴェルチェッリで開催されるヴィオッティ国際音楽コンクールで久しぶりに声楽部門の優勝者になり、一気に羽ばたいていった。
とびきり恵まれた楽器
冒頭に挙げたヌッチらもヴィオッティ国際コンクールで優勝している。そして、これら3人とくらべてもサルシが恵まれていると感じるのは、持って生まれた楽器の豊かさである。サルシと言葉を交わすだけで声の魅力に圧倒される。豊潤で、まろやかで、深く、繊細な起毛で包まれたような心地よさがある。そして、その声を響かせるための恵まれた肉体。用いる楽器がライバルたちに何歩も先んじている。
だから、その楽器を朗々と響かせる聴かせどころでは、しっかり開かれた喉から、力がみなぎりながら、なめらかさは失われない、極上の豊かさを味わえる。また、強弱のコントロールも巧みで、ヴェルディがこめた多彩なニュアンスに配慮した柔軟な表現を聴かせる。トリノ王立歌劇場など各所で聴いた「椿姫」のジェルモンは、父親の威厳を示しながら、ヴィオレッタとの二重唱ではニュアンスを多彩に加え、緊迫した応酬に真実味をあたえていた。
圧倒的逸材であるだけに、低音域に下降する際などに、喉が閉じて発声がこもり気味になることがあるのが惜しい。力強く咆哮(ほうこう)したときの圧倒的な響きと同じ声の密度が、あらゆる音域で均質に得られるようになれば、偉大な3人に続く名として記憶されるだろう。
9月23日と25日、東京文化会館で、5月にこの連載で取り上げたリセット・オロペサと一緒にコンサートを行う。
III リセット・オロペサ & ルカ・サルシ/旬の名歌手シリーズ2022(https://www.nbs.or.jp/stages/2022/singer/03.html)
まずはそこで、サルシが名歌手である理由を体感してほしい。
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、「イタリア・オペラを疑え!」(アルテスパブリッシング)。ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」、「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。