フランス・オペラを最高に輝かせる高貴な歌唱で
イタリア・オペラも特別なものに
この連載のタイトルは「イタリア・オペラ名歌手カタログ」だが、今回はフランス・オペラの話からはじめたい。話はイタリア・オペラにも行き着くが、このテノールが本当に特別なのはフランス・オペラにおいてである。1985年にパリで生まれ、ジュネーヴで育ったバンジャマン・ベルナイム。たとえば、2024年5月に上映されたMETライブビューイングのグノー「ロメオとジュリエット」のあまりに鮮烈なロメオ役に、新星登場と歓喜した人も多いのではないだろうか。
だが、ベルナイムは新星とはいえない。2009年には大野和士率いるリヨン歌劇場とともに来日し、「ウェルテル」のシュミットを歌っている。だが、当時はまずまずのテノールという水準だった。コロナ禍以前、2017、18、19年ごろの録音を聴くと、いまに近づきつつあるが、それでもまだ物足りない。
ところが、2020年代になって、まるで別人のように洗練された完璧な歌を聴かせるようになった。なにがきっかけだったのかはわからないが、とにかく大きく変わった。無敵のツボにはまったとでもいえばいいだろうか。
歌う際の口の動きを見てもわかるが、声が自然な息に乗って体から離れるようになった。それまでは声が喉から離れず、響かせるために喉に力が入りがちなところがあった。だが、いまは磨かれた声が軽く発せられ、なんの力みもなく息とともに飛んでいく。それによってフランス・オペラのやわらかい旋律が、気品あふれる極上の手触りを帯びるようになった。
加えて、ベルナイムは頭声を使うようになった。以前は特に高音を、力強い胸声で響かせていたが、そこにファルセットを混ぜるようになったのである。しかも、求められる表現に応じて混ぜる量を、無限変速機のように自在に調整できるので、声がなめらかにつながって少しも不自然に聴こえない。だから、高音もピアニッシモもやわらかくて美しく、甘く官能的な輝きを帯びる。
自然な響き、甘さ、やわらかさ、言葉の美しさ
この甘いやわらかさはフランス語の響きと相性が抜群である。ベルナイムのフランス語が美しいのは、ネイティブだからというだけでなく、フランス語が一番美しく輝く声のつくり方を習得したからである。こうして、どこにも隙がない歌を聴かせるようになった。
だが、隙がないといっても、冷たい歌ではない。ベルナイムの歌は2つの方向から心を揺さぶる。最初に、本当に上質なものを前にしたときにだけ感じる心のときめきが得られる。続いて、上質な歌が宿している深い感情に、心がえぐられそうになる。ベルナイムの歌にこめられた感情は、気品ある表現と一体の特別なものだ。自然な響き、甘さ、やわらかさ、それらと一体となった言葉の美しさ。さらに、それらが完璧にバランスされているから、美と感情が理想的に重なる。
「ロメオとジュリエット」も「真珠採り」も「マノン」も「ウェルテル」も、ベルナイムが登場し、その歌がこうして磨かれるまで、これほど美しく歌われたことはなかったのではないだろうか。
最後に、フランス・オペラをこのように表現できる歌手は、イタリア・オペラを歌っても違うと強調しておきたい。たしかにイタリア・オペラは言葉の特徴もあって、一般的にフランス・オペラよりも直線的に表現される。しかし、ある時期の多くの歌手がそうであったように、声を力強く押すのは、作曲家が求めた歌唱とは異なる。力強さが肝要だと思われているヴェルディのオペラも、作曲家は微妙でやわらかい表現を求めている。
フランス・オペラに極上のやわらかさを加えるベルナイムは、その表現を応用し、ドニゼッティやヴェルディ、プッチーニのオペラを歌っても、甘い響きと多彩なニュアンスで他の追随を許さない。
2025年1月には来日して、14日と19日の2回、東京でコンサートを開催してくれる。最高に輝いたタイミングで、その全貌に触れられるのはたまらなくうれしい。
公演情報
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。