超高音を交えてコロラトゥーラを鮮やかに操るウィーン在住のソプラノ、田中彩子。日本デビュー10周年の今年は、7月に4枚のアルバムから曲を厳選したベスト盤が発売され、9月からは全国10カ所で記念のリサイタルが開催される。
「天使の歌声」はどのようにして誕生し、磨かれたのか。いま、そしてこれから、彼女はなにをどう聴かせてくれるのか。インタビューした。(取材・構成 香原斗志)
——最初に、歌手になろうと思ったきっかけを教えてください。
田中 物心がついたときからピアノを弾くのが生活の一部でしたが、高2のとき、手が小さくて弾きたい曲も指が届かないのを、もどかしく感じるようになりました。でも、音楽の道には進みたい。そのとき、歌なら初期投資が要らないので「やってみたら」と勧められました。紹介されたウィーン帰りの先生の前で声を出すと、すごく高い声が出た。音楽の道には進みたいけどピアノは難しそうだったとき、歌があったんです。
——高校を卒業してすぐにウィーンに留学するのは、大変な決断だったのでは?
田中 歌を習いはじめてすぐ、当時の先生が大学生とウィーンへ研修に行くので、ついて来るかと誘われました。行ってみると、自分がピアノで弾いてきた曲が頭のなかでフラッシュバックして、衝撃を受けました。ワークショップで「プロになりたいならいますぐ来なさい」といわれ、高校卒業して3カ月後にウィーンに行ったのです。
当時の私は、隣町に行くぐらいの気持ちでしたが、ウィーンは石を投げたら音楽家に当たるような街。刺激は多く、そこら中にモーツァルトやベートーヴェンの痕跡があって、宝箱みたいな街でした。目に入る景色から風の臭いまですべてに、たとえば、これはモーツァルトも感じたものだ、と思えるのが贅沢ですね。
——留学後は順調に学べたのですか?
田中 高い音が出るといっても、テクニックの支えがあったわけではないので、最初は基礎練習ばかりの日々。数年は体=楽器づくりも大変で、思ったよりハードでした。
歌で食べていけるように、最初はオペラのオーディションを受けたりしましたが、「今期はコロラトゥーラが必要ない」といわれたりします。コロラトゥーラは役がかぎられ、チャンスが少ない。だから、一般的なソプラノの役でオーディションを受けることも考えましたが、せっかく特殊な声が出るのにあきらめるのは違う。自分が持っているものを磨くべきじゃないか。そう思い直してから仕事も増えました。上手な人が大勢いる中で仕事をもらうためには、個性を大切にすべきなのだと思いました。
——いずれ日本でも活躍したいと思っていたのですよね?
田中 帰る気はないくらいのつもりでウィーンに留学し、実際、10年くらい帰国せず、日本語もほとんど使いませんでした。だから、日本は記憶の底にある、思い返すと切ない国というイメージでした。10年前に日本デビューが決まったときは、うれしいけれど不思議な感覚でしたね。
その後もしばらくは、日本語が通じる知らない国という感じ。みなさん音楽をしっかり聴くイメージがあったので、間違えたら怒られるのではないかと。でも、3年ぐらいしてすごく温かいと感じ、ぐっと距離が縮まって、母国と思えるようになりました。
——CDの曲なども、日本の聴き手の顔を浮かべながら選ぶようになったのですか?
田中 1枚目のアルバムは、ずっと日本に帰国していない時期の録音で手探りでしたが、2枚目以降は、こういう曲なら楽しんでもらえるかな、と思えるようになりました。日本の方々はマニアックな曲もよろこんで聴いてくださり、知識を持っている方も多い。間口が広くて柔軟ですね。
——今年は日本デビュー10周年。記念のベスト・アルバムも出ます。
田中 私の活動は例年、3分の1が日本、3分の2がウィーン、残りがその他という感じですが、今年は日本イヤーです。
今度のアルバムは、住んで22年になるウィーンゆかりの曲のほか、宗教曲もいくつか入っています。ウィーンでは当初、ギリギリの生活で、たびたび教会からの「明日、ミサで歌いませんか」といった救いの電話で助けられました。その結果、ウィーンのほとんどの教会で歌ったほどで、宗教曲は私の歌の核なんです。声を器楽的に使ってコロラトゥーラの可能性を探る、歌詞のない曲も入っています。
——10周年記念のリサイタルも楽しみです。今後の抱負もお聞かせください。
田中 私のプログラムはいつもちょっとクセがあって、今回もいままで歌ってきた曲に加え、クセが強い曲も入れようと思います。また、チェロも加わってのツアーなので、これまでピアノと歌った曲も、少し違った雰囲気になると思います。そういう意味でもスペシャルだと思います。
今後も引き続き、コロラトゥーラを開拓していきたいし、まだ出会っていないすぐれた曲を演奏したいです。また、私にできる音楽を通じて、青少年育成をはじめ、なにができるかを考えていけたらいいなと思っています。
(取材日:2024年5月)
田中彩子(ソプラノ) プロフィール
18歳で単身ウィーンに留学。22歳でスイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初かつ史上最年少でソリスト・デビューを飾る。 その後ウィーン、パリ、ロンドン等、国内外問わずグローバルな活動を続けている。 日本でも2014年のデビュー以来、国内での演奏活動を重ね、MBS 『情熱大陸』やNHK BS「ザ・ヒューマン」などのメディアにも多数出演。また、日本シリーズやボクシング世界タイトルマッチ、世界バレーなどで国歌独唱を務めるなど幅広く活躍している。
2019年 Newsweek誌「世界が尊敬する日本人100」に選出。京都府あけぼの賞受賞。
様々な環境に置かれる子ども達に音楽を通した教育プログラムを考えていく一般社団法人 Japan MEP/ 代表理事、エルシステマ舞鶴子どもコーラス特別顧問、学校法人AICJ鷗州学園 理事長
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、「イタリア・オペラを疑え!」(アルテスパブリッシング)。ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」、「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。