新国立劇場オペラ芸術監督の大野和士が毎日クラシックナビの単独インタビューに応え、14日に初日を迎えるワーグナーの大作「トリスタンとイゾルデ」(デイヴィッド・マクヴィカー演出)の再演について熱をこめて語ってくれた。(取材・構成 宮嶋 極)
——14日に初日を迎える新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」のステージの魅力についてご紹介ください。
大野 新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」のプロダクションは、今から13年前に私がまだこの劇場のオペラ芸術監督に就任する以前に、新制作プロダクションとして指揮したものですが、今まで再演が行われていなかった。私がこの劇場の芸術監督に就任したので、ぜひもう一回やらせていただきたいということで実現しました。このプロダクションの何が素晴らしいかというと、英国の才能ある演出家であるデイヴィッド・マクヴィカーさんが、変わったこと(極端な読み替え)を何ひとつしていない、ということなのです。プレミエされた13年前も大変話題を集めました。
——何もしていない? 具体的にはどういうことですか?
大野 例えば、(第2幕で)月の明かりが昇って、それがだんだん(地平線に向かって)降りてくる。つまり朝が迫ってくるわけです。トリスタンとイゾルデたちにとって、朝が迫ってくるということは、死を意味するのです。2人が時間を共有できるのは夜が唯一の機会だからです。2人が共にいられる夜の賛歌、それが愛の賛歌でもあり、「愛の死」へと結び付いていくのです。こうしたマクヴィカーさんのアイディアがこの作品をより分かりやすいものにしている、と私は考えています。
——トリスタンとイゾルデの2人にとって昼は忌(い)み嫌うものなのですね。
大野 イゾルデの一行を乗せた船がアイルランドからコーンウォールという島国に着くのですが、イゾルデはこの地の王マルケと結婚するために連れて来られたのです。音楽は明るく(マクヴィカーの演出では)モダンダンスのような踊りがあり、(第1幕はファンファーレのような華やかな終結となるが)イゾルデの本心は悲しいのです。なぜかというと、彼女は、本当はトリスタンと結婚したかったのです。ところが、トリスタンはマルケ王の使者としてイゾルデを迎えに来るという皮肉なところからこのオペラの第1幕は始まっています。このため(船中で)2人はなかなか口をきこうとはしません。これは何を意味するかというと、(第1幕は)昼なのです。まだ明るい時だから彼らは口をきかないのですよ。
——それがなぜ、愛を語り合うことになるのでしょうか?
大野 (本心では相思相愛のトリスタンとイゾルデが)昼の世界では自分たちは朽ち果てるだけで、もうこの世に思い残すことはないと毒薬を飲もうとします。ところがブランゲーネというイゾルデの付き人が毒薬を愛の媚薬(びやく)に取り替えてしまったのです。そうと知らずにその薬を飲んでしまった2人がどうなるのかというと〝トリスタン和音〟と呼ばれる和声に導かれて自分自身(意識)を一瞬失うのですが、次第に(何かが)見えてくる。媚薬が体中に回った時にはっきり見えた姿は心の底で一番愛する存在、トリスタンにとってはイゾルデであり、イゾルデにとってはトリスタンだったのです。
——トリスタン和音はその後の音楽史に多大な影響を与えたといわれています。
大野 〝トリスタン和音〟は有名ですが、理論的な観点から言いますと半音階が展開するので、どこに行っていいのか分からない(雰囲気を醸し出す)和音が、20世紀の無調の音楽への先駆けになったといわれたりもします。しかし、私は〝トリスタン…〟の譜面を見た時、いつも思いますが解決しない和音という考え方は結局、20世紀から(振り返った)見方によってそういう位置付けがされているのではないかと。ワーグナーがこれを作曲したのはマティルデ・ヴェーゼンドンクとの秘めたる恋がベースになっており、彼の中にある音像というのは、媚薬を飲んだことによって(秘めたる愛が)合法になった。つまり、目の前に愛する人の姿がはっきりと見えたのではないかと。ですから(トリスタン和音を)ワーグナーは直感で書いたのだと思います。それが20世紀の目から見た時には、そうした和音の発展によって無調の世界へと繋がっていったと映るわけです。
——今回、ピットに入るのはマエストロが音楽監督を務める東京都交響楽団ということで、気心の知れた間柄であり、お考えがより伝わりやすいという面はありますか?
大野 都響というオーケストラは、歴代の音楽監督がワーグナーあるいはマーラー、ブルックナーを得意にしている方がほとんどじゃないかと思います。そうした歴史を持つ都響でも〝トリスタン…〟の前奏曲と愛の死を演奏した経験は多いけれど、4時間半にわたる全曲を演奏したことがある人はほとんどいません。大半の方が初めての経験となります。いとも麗(うるわ)しい歌声が入り、そこへ愛の死というテーマが入り、極上の美というものを、感じさせてくれる演奏を期待しています。
——同時期に東京・春・音楽祭でも〝トリスタン…〟が演奏会形式で上演されます。そもそも新国立劇場はフルステージ上演ですが、あえて東京春祭との違いを教えてください。
大野 半分冗談に聞こえるかもしれませんが、オーケストラがピットに入るということは夜の世界なのですよ。つまり光を浴びて演奏している楽員がひとりもいないわけです。歌を支えている何十人ものオケが夜の世界から音を発している。(こうした演奏環境の適合性は)トリスタンをおいてほかに勝る作品はないと思いますよ。(笑い)
——ワーグナーは長くて難解だと敬遠する人もいます。
大野 私たちの責任としてそれを短い、と感じて楽しんでいただけるようなステージにしたいと考えています。今のところオーケストラで、長いと思って弾いているメンバーはほとんどいないはずです。(この作品の音楽は)ある意味で背徳的な甘さというのでしょうか、そうした旋律がいろいろな調で出てくるわけです。さらにそれらがオーケストレーションを変えて、また違った形で現れてくる。ワーグナーのアイディアの豊富さ(は素晴らしい)。響きの色合いが変わっていくことで、内的な気持ちもどんどん変化していく。だからこそ、愛の世界なのでありオケのメンバーもそうしたことを感じながら演奏していると思います。さらに歌が入ることによって愛の世界が一層具体化していくはずです。(リハーサルでは作品の世界が)深まりつつあり、私も毎日を嬉しく過ごしています。
初日の幕は3月14日(木)16時に開く。
大野 和士
おおの かずし
東京藝術大学卒業後、バイエルン州立歌劇場でサヴァリッシュ、パタネー両氏に師事。ザグレブ・フィル音楽監督、バーデン州立歌劇場音楽総監督、ベルギー王立モネ劇場音楽監督、アルトゥーロ・トスカニーニ・フィル首席客演指揮者、リヨン歌劇場首席指揮者、バルセロナ交響楽団音楽監督を歴任。現在、新国立劇場オペラ芸術監督(2018年~)及び東京都交響楽団音楽監督、ブリュッセル・フィルハーモニック音楽監督。これまでにボストン響、ロンドン響、ロンドン・フィル、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、フランクフルト放送響、パリ管、フランス放送フィル、スイス・ロマンド管、イスラエル・フィルなど主要オーケストラへ客演を重ね、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場、英国ロイヤルオペラ、エクサン・プロヴァンス音楽祭など主要歌劇場や音楽祭で数々のプロダクションを指揮。新作初演にも意欲的で、数多くの世界初演を成功に導いている。
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みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。