ジョナサン・ノット インタビュー ~② ベートーヴェンについて

東響の音楽監督も10シーズン目に突入するジョナサン・ノット (C)T.Tairadate / TSO
東響の音楽監督も10シーズン目に突入するジョナサン・ノット (C)T.Tairadate / TSO

東京交響楽団の音楽監督を務めるジョナサン・ノットのインタビュー2回目。前回、ノット指揮、東響によるベートーヴェンの作品演奏が各方面から高い評価を受けていることもあり、音楽監督在任中にベートーヴェン交響曲ツィクルスを行う意向を尋ねたところ、前向きな姿勢を見せたノット監督。そこでベートーヴェンについてさらに深く聞いた。(宮嶋 極)

 

——マエストロがベートーヴェン・ツィクルスに意欲を示す理由についてお聞かせください。

ノット(以下、N) ベートーヴェンの交響曲ツィクルスがすごく良いアイディアだと思った理由をロマン派のブルックナーに関する私の体験を例にお話ししましょう。私が最初にブルックナーの交響曲を素晴らしいと感じたのは、まだ若い頃、第7番を聴いたのがきっかけでした。その後、実際に7番を指揮する機会に恵まれました。続いて第3番を経験したわけですが、そうすると私の7番に対する解釈、指揮法が自然と変わってきたのです。さらに2番を、そして1番を経験するとそれ以前に私が認識していたブルックナー像と違う姿が見えてきました。その結果、7番や8番といった後期の作品に対する解釈もおのずと変化していきました。

 

——それはなぜですか?

N ブルックナーが若い時に持っていた情熱や人生に対する疑問、恐れ、そういったものが1番、2番にはたくさん渦巻いています。年齢を重ねた後のブルックナーが深い信仰心の持ち主であったことはよく知られていますが、そうした境地に到達する前の彼の内面にあった欲の世界、憂い、恐れ、そういった心境を経て7番のような敬虔(けいけん)な世界に到達したことが理解できたわけです。ですから1番、2番、3番を経験したことで第7番の解釈が大きく変わったのです。ベートーヴェンの交響曲を第1番から第9番まで順に演奏していくという旅路は再発見とともに刺激に満ちたものになるでしょう。私は「ディスカバー」と「リ・ディスカバー」が大好きなのです。素晴らしい音楽には必ず常にそこに再発見が潜んでいるからです。

 

——マエストロによるベートーヴェンの演奏スタイルはピリオド奏法の要素も取り入れた、現代オケによる古典派作品演奏のあるべき姿のひとつであるとの評価があります。

 ベートーヴェンの演奏スタイルの歴史的変遷を探るために過去の録音を確認してみました。すると各時代によって当時の流行というものが色濃く反映されていることが分かります。第9には特にそうした傾向がみられます。かつては大編成のオーケストラを使ったダイナミックなものであったり、最近では、ノーヴィブラート(などピリオド奏法の要素)を採用したり、というふうに演奏スタイルは時代によって変化しています。いずれにしてもベートーヴェンの作品演奏において重要なことはその表現が人間的で自然であるかどうか、ということです。

ノットが指揮を務めた昨年の「第9」公演 (C)T.Tairadate / TSO
ノットが指揮を務めた昨年の「第9」公演 (C)T.Tairadate / TSO

——テンポ設定も時代によってかなり違いがあります。20世紀の巨匠指揮者などは遅めのテンポで重厚な演奏を標ぼうしていた一方で、作曲家在世当時のスタイル、いわゆるピリオド奏法に寄せた演奏では譜面に記されたメトロノーム表示を尊重し、速めの傾向がみられます。マエストロはテンポについてどうお考えですか?

 スコアにベートーヴェンが記したとされるメトロノームによるテンポ表示については、確かに諸説あります。ベートーヴェンの時代のメトロノームは不正確だったとか、彼が所有していたものが故障していた、などでそれを重視しないという考え方の論拠にもなっています。とはいえ、私は彼のテンポの指示にはできるだけ従いたいと考えています。

 

——それはなぜですか?

 チェリストのスティーヴン・イッサーリスが弾くシューマンの作品について、テンポが速すぎたりとか遅すぎたりとか指摘されることがよくありますが、シューマンの書いた手紙を見ると、シューマンがテンポに関する指示にとてもこだわっていたことが分かります。シューマンは小節ごとに細かくテンポを指定していますが、これらは大きな違いのある数字ではありません。ところがこの指定の通り演奏していくと、これらがとても重要であることが分かってきます。人にとってテンポというのは日や状況によって変わるものです。夜遅い時、感情が高ぶっている時、それぞれ感じ方が異なってきます。さらに次の日になると天気も変わって自分の気の持ちようも違ってくる。そして、そうした変化を受けてテンポ感もおのずと変わってくるわけです。音楽は元々流れですからそうした変化に影響を受けがちなのがテンポなのです。マーラーの交響曲第2番の自筆譜を見ると、1小節ごとに59、62、61というように書かれています。これらは細かく小さな違いに思われがちですが、その通りに演奏してみると、驚くほどの効果をもたらしてくれるのです。イッサーリスの話に戻すと例えばシューマンの作品にE♭(ミ♭)と出てきたときに、作曲家がそこにどんな感情を込めていたか、音色を求めていたか、何を考えていたのか、譜面上はよく分かりません。ところがイッサーリスの弾くテンポはシューマンの指定に忠実であり、そうすることによってシューマンがその音符に込めた感情や求められる音色というものが、不思議と浮き彫りになってくるのです。だからこそ、私は作曲家が指定したテンポには厳密には従う必要があると考えます。

 

——ベートーヴェンの交響曲でもそうあるべきとお考えなのですね?

 はい。ですから第9を演奏する時もベートーヴェンによるメトロノーム記号をなるべく忠実に実行することにしています。とはいえ、これを実行するにはかなりの勇気が必要でした。実際、私もできるようになるまで何年も要しました。例えば第4楽章、レチタティーヴォの部分。プレストと指定されていますが、チェロとコントラバスが(テーマを)繰り返した後、バリトンが入ってくる。バリトンも同じテンポで歌うのかというと、少しだけテンポを遅くすることで、その違いが浮き上がってくる。そうすることで単純な繰り返しに陥らないようになるわけです。東京交響楽団は秋山(和慶)さんが指揮すると、私とは全然違う第9を演奏します。その一方で私が求めることもちゃんと実現してくれる。東響の皆さんの素晴らしさですね。(つづく)

 

今年も12月28日、29日、ノット指揮による東響の第9交響曲の演奏会が予定されているがチケットは既に完売している。なお、インタビュー最終回は声楽を伴うような大規模な作品などについて語ってもらいました。

ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」ほかを披露した11月の定期公演=11月11日 サントリーホール (C) TSO
ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」ほかを披露した11月の定期公演=11月11日 サントリーホール (C) TSO
宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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