METの大型《ローエングリン》が動き出す

《ローエングリン》(c)Marty-Sohl/Metropolitan-Opera
《ローエングリン》(c)Marty-Sohl/Metropolitan-Opera

奇跡は起るのか?白鳥の騎士は現われるのか?王や兵士、ブラバンドの人々は誰もエルザを救いにやってくる騎士など信じてはいない。だが、タマラ・ウィルソンのエルザが圧倒的な声で夢を歌う。歌は合唱やオーケストラをかきたてずにはおかない。高まる期待と緊張がついに破れる瞬間がやってくる。

 

メトロポリタン・オペラは創設されたばかりのころからワーグナーに夢中だった。とりわけ《ローエングリン》はニューヨークのオペラ好きを魅了してきた。METがこれまで最も多く上演してきたワーグナー作品が、この「ロマンティック・オペラ」だという。


METきっての人気オペラなのだから、新しく制作する上演には当然力が入る。2023年にも力が注がれた。指揮するのはもちろん音楽監督のヤニック・ネゼ=セガンで、これまでワーグナー作品で実績を積んだフランソワ・ジラールが演出する。そしてローエングリンを「METのテノール」というべきピョートル・ベチャワが歌う。

 

ゲルブ総裁が就任する際、これからMETの舞台で活躍するのはこの人たちだと、数人の歌手の名を挙げた。筆頭がベチャワだった。今度の《ローエングリン》には、この時名を挙げた歌手がもうひとり加わっている。オルトルートを歌うクリスティーン・ガーキーだ。切り札が切られたのだ。ブリュンヒルデも歌うソプラノのガーキーを悪役オルトルートにすえた意図は、聴き終ればわかる。いや、幕が上ってすぐにわかるかもしれない。失礼して先に言ってしまうと、惑星の地下世界のようなブラバンド公国で、両手を広げ、人々を束ねているのが王様ではなく、魔法使いオルトルートなのが、最初に見てとれるからだ。

 

演奏から、そして登場人物から、この上演が「METの大型《ローエングリン》」であるのが伝わってくる。しかもその大きさは、音楽的にも視覚的にも、ドラマに組み込まれている。ネゼ=セガンの指揮はオペラを大きく動かす。歌手はエルザやオルトルートだけでなく、王の伝令から悪人の手下たちに至るまで、大きなMETの劇場向きの声を使うだけでなく、まるで大見得を切るように歌う。思わず掛け声をかけたくなる人だっているのではないだろうか。巨人族のような人々が住むブラバンドの地下世界に白い騎士は現われるのか?


その時が来る。奇跡は起る。別の惑星から降り立った清潔な白シャツの騎士が、見事に清潔な歌でエルザを救う。METの大型《ローエングリン》が動き出した。

《ローエングリン》(c)Marty-Sohl/Metropolitan-Opera

公式サイト

Picture of 堀内修
堀内修

ほりうち・おさむ

音楽評論家。東京生まれの音楽評論家で、オペラや声楽を中心に、1970年代から執筆活動を行っている。新聞のほか『音楽の友』『レコード芸術』などの専門誌で評論をする一方、これまでNHK『ウィークエンド・シアター』や『オペラ・ファンタスティカ』など、テレビやFM放送での解説をしてきた。主な著書に、『はじめてのオペラ』『クラシック不滅の名演奏』(講談社)『モーツァルトへの旅』『これだけは見ておきたいオペラ』(新潮社)『ワーグナーのすべて』『モーツァルト、オペラのすべて』(平凡社)『オペラと40人のスターたち』『読むオペラ』(音楽之友社)等がある。

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