これがアリアの理想型、奇跡の「誰も寝てはならぬ」
グレゴリー・クンデが一夜かぎりのコンサート

グレゴリー・クンデ
グレゴリー・クンデ

作曲者が求めた曲の深奥に迫る歌唱

日本はクラシック音楽、とりわけオペラの世界で、「ガラパゴス化している」と語られることがある。動植物に関してなら、独自の進化を遂げた希少種の宝庫だという褒め言葉になる。だが、オペラという西洋文化に関して「ガラパゴス化」を指摘されると、意味合いが違ってくる。西洋起源のオペラが、オリジナルから分離して独自の進化を遂げたら、それは元来のオペラとは別物になってしまう。

なぜ、そうなったのか。それへの返答は、長くなるのでほかの機会に譲るとして、西洋との距離が大きな原因だとだけ答えておく。いずれにせ、日本で上演されるオペラはよくも悪くも「独自性」が強く、本場のスタイルと異なりがちである。とくに歌唱については、その傾向が強い。

だからこそ聴き手は、お手本になるよい歌を聴き、耳のなかに自分のスタンダードを設定することが大事である。このアリアはこう歌うものなんだ、こう表現されるとこんなに魅力的に聴こえるんだ、という評価の基準ができると、耳の「ガラパゴス化」を免れることができる。だからこそ、少しでも多くの日本人に、グレゴリー・クンデの歌を聴いてほしいのである。

ヴェルディの《リゴレット》、《イル・トロヴァトーレ》、《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》。レオンカヴァッロの《道化師》。プッチーニの《マノン・レスコー》、《トスカ》、そして《トゥーランドット》。人気作の著名なアリアばかりだが、だからこそ、クンデの歌を耳に焼き付けておく価値がある。クンデの歌は、作曲者が聴いたら泣いてよろこびそうなほど、曲の深奥に迫っているからである。

グレゴリー・クンデ (c) Chris Gloag
グレゴリー・クンデ (c) Chris Gloag

歴史的にも的を射たスタンダード

なにしろ声があふれ出る。しかも、その声は低音から高音まで完璧にコントロールされ、ツヤと輝きに満ちている。とりわけ、クンデの高音の張り詰めた輝きは、特別な官能性を帯びる。そんな声による音楽性あふれる堅固なフォームと、スタイリッシュで力強いフレージング。なにを聴いても、この曲はこんなに魅力的だったのかと、快感をともなった驚きが提供される。

しかも、どの曲にも無限のニュアンスが込められるのだが、それには理由がある。クンデは50代を迎えるまで、比較的軽めの役を歌っていた。2000年に東京の新国立劇場にデビューしたのは《ドン・ジョヴァンニ》のドン・オッターヴィオだったし、ロッシーニをはじめとするベルカント・オペラを十八番にしていた。

ところが、ある時期から声が成熟し、ドラマティックな役柄が自然に歌えるようになったという。そのことが大事なのである。

クンデはモーツァルトやベルカント・オペラの旗手として、自在に強弱をつけ、旋律に色彩やニュアンスを加え、高度な技巧も交えて歌える力を存分に備えていた。その卓越した表現力がドラマティックな曲にも活かされるので、理想的な歌唱になる。力があふれる歌だが、力まかせの歌唱とは似て非なるもので、いつも凜とした気品を備えている。

たとえばヴェルディのオペラというと、力強く歌うものだと思われがちだが、ヴェルディ自身は歌手に、弱音も駆使しながら無限のニュアンスをこめて歌うように、執拗なまでに求めている。ヴェルディの同時代の歌手は、みなベルカント歌いであり、彼らはベルカント・オペラを力強く歌うように、ヴェルディのオペラを歌っていたと思われる。その意味でも、クンデの歌唱は歴史的にも的を射た、あるべきスタンダードである。

しかも、驚いたことに、今年は古希を迎えたというのに、クンデにかぎっては衰える気配がまるでない。この8月にもイタリアでリサイタルを聴いたが、年輪を重ねたことによる変化といえば、感情表現がより深みを増したことぐらいだろうか。今回も、おそらく最後に歌うであろう「誰も寝てはならぬ」にいたっては、あのパヴァロッティを超えるくらいの圧倒的な輝きと高音の伸びがある。

クンデという奇跡を聴く機会を、いま逃してはならない。心の底からそう思う。

香原斗志(音楽評論家)

指揮 三ツ橋敬子 (c) Earl Ross
指揮 三ツ橋敬子 (c) Earl Ross

公演データ

グレゴリー・クンデ(テノール)コンサート
偉大なキャリアを経ていまが旬

2025年 2月1日 (土)  開場 12:45 / 開演 13:30
東京都:サントリーホール 大ホール

チケット価格
◆全席指定・税込◆
 S席 : 18,500円
 A席 : 15,500円
 B席: 11,000円
 C席: 8,000円

主催:テレビ朝日 楽天チケット
後援:J-WAVE

お問い合わせ:
楽天チケット https://r-t.jp/ask
TEL 050-5893-9366(受付時間 10:00~17:00 )

公演詳細:
https://ticket.rakuten.co.jp/music/classic/rtcq25a/

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