リヒャルト・シュトラウスの「エレクトラ」で〝凄演(せいえん)〟を聴かせたジョナサン・ノット指揮、東京交響楽団が翌週の20日、5月定期演奏会で今度はリゲティのムジカ・リチェルカータ第2番とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」を連続演奏するという大規模な作品に再び挑んだ。20日、サントリーホールで行われたこの公演を振り返る。(宮嶋 極)
小埜寺美樹のピアノ独奏による「ムジカ…」は記譜上Eis=F(ミ♯=ファ)Fis(ファ♯)G(ソ)の3音からなる約3分の小品で、前半はEisとFisの半音進行が繰り返され、後段に突然Gが現れて、最後はそのGが減衰して曲が終わる。間髪を入れずにコントラバスとチェロによってマーラーの6番が始まるという仕掛けだ。調性のない音楽から調性のある音楽にアタッカーで移行するのはノットがよくやるスタイルである。以前、後半にベートーヴェンの交響曲を演奏したのを聴いたことがあるが、マーラー6番の場合、調性感が安定しているベートーヴェンと違って途中で調性が複雑化し曖昧になる場面が幾度も訪れることから、そうした不安定さを強調することがノットの今回の狙いなのかもしれない。
演奏内容は指揮者の意図が細部にまで浸透した完成度の高いものであった。「エレクトラ」の時もそうだったが、このコンビの充実ぶりは今の在京プロ・オケの中でも際立ったものであることがこの日の演奏からも伝わってきた。
テンポは全体に遅め。第1楽章冒頭のマーチのような部分は重苦しく、足を引きずるようなストロークで開始される。オケの技術力を誇示するメカニカルな演奏とは対極をなすアプローチである。この重苦しさは全曲にわたって頭上に覆いかぶさるように維持され、それが終楽章の衝撃に向かって徐々にうっ積していくような音楽作りがなされていた。各パートのバランスが調整され、途中で突出した音場を出現させることなく、重苦しさから解放される瞬間も訪れない。それは第3楽章のアダージョですら同様で、カウベルは2階客席下手の出入り口の外で演奏され、通常はここで味わえるのどかな雰囲気が、どこか遠くの出来事のように感じられた。そして極めつけは第4楽章、悲劇の衝撃を表すハンマーの打撃であった。2回なのか3回なのかと注目を集めるこの打撃、今回はなんと5回もあった。東響のホームページに掲載されているノットのコメントによると「マーラーは最初にハンマーの打撃ゼロの譜面を書き、次に5回、次に3回(※第1稿)、さらに2回(※第2稿、チェレスタを追加)と書き換えています。(その後、欠けていた最後のハンマーのオーケストレーションを変更しました)。指揮者が選ぶわけではありません。私はハンマー5回を書いたときのマーラーの思いを体験してみたかった」と異例の5回を採用した理由を語っている。驚いた聴衆も多かったようだ。
(コメント内の※は筆者の追加注釈)
一点、残念だったのはトランペット1番の不調である。第1楽章提示部の高い音程のソロがひっくり返ってしまったことに加えて、繰り返しの際にも同じ箇所で音を外したことで後を引いたのか、その後もミスが目立った。たまたまオペラグラスでトランペット奏者を見ていたところ最初のミスの後、顔をしかめていた。人間にミスはつきもの。あまり気にせずに後に尾を引くことがないよう、これからは〝面の皮を厚くして〟臨んでもらいたい。
とはいえ、それらは小さな傷である。演奏全体は前述したようにしノットの作品に対する解釈がしっかりと反映された充実したものであった。それを表すかのように終演後の拍手は盛大でオケ退場後も鳴りやまず、ノットはステージに再登場して歓呼に応えていた。
公演データ
5月20日(土)18:00 サントリーホール
指揮:ジョナサン・ノット
ピアノ:小埜寺 美樹
コンサートマスター:グレブ・ニキティン
リゲティ:ムジカ・リチェルカータ第2番
マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」
みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。