バイロイト音楽祭2025リポート後編

バイロイト音楽祭2025のリポート後編は前編で紹介した今年の新制作「ニュルンベルクのマイスタージンガー」以外の演目の中から取材した「パルジファル」、「ローエングリン」、「トリスタンとイゾルデ」について公演日順に報告する。中でも2022年以来の久しぶり登場となったクリスティアン・ティーレマンが指揮した「ローエングリン」はチケットが発売と同時に完売するなど観客・聴衆の高い注目を集め、期待に違わぬ圧巻のステージが繰り広げられた。

(宮嶋 極)

「パルジファル」(パブロ・エラス=カサド指揮、ジェイ・シャイブ演出)再演

「パルジファル」第2幕〝花の乙女〟のシーン。中央はアンドレアス・シャーガーが演じるパルジファル (C)Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath
「パルジファル」第2幕〝花の乙女〟のシーン。中央はアンドレアス・シャーガーが演じるパルジファル (C)Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

2023年に新制作された米国の新鋭演出家、ジェイ・シャイブによるプロダクションの再演。座席に制限があるもののVRグラスを装着して鑑賞する新たな試みが注目を集めた。筆者に割り当てられたプレス席はVRグラス対応の席で、眼鏡を通して見ると客席も含めて劇場全体が物語の空間に置き換えられたような感覚に陥る。例えば第1幕、パルジファルに射落とされた白鳥が筆者のひざ下に横たわり、血を流しながら悲しそうにこちらを見つめる映像は思わずハッとさせられる。ただ、映像に気を取られてしまうあまり、肝心の舞台への集中がいささかおろそかになってしまう。また、白鳥は別として映像には若干の改善の余地があるように感じた。とはいえ〝実験工房〟を標ぼうするバイロイトならではの新たな試みであり、オペラ上演の未来の可能性を探る上では評価できる。
演出については既に放送や映像ソフトがリリースされていることから詳述は割愛するが、基本的には台本に準拠した作りで光を活用した美しい舞台である。N響への客演で日本の音楽ファンにも知られるエラス=カサドが23年のプレミエ時から3年連続で指揮を務めており、観客・聴衆はもとよりオケや合唱団、運営サイドからも評価を得ていることが窺える。複雑に重なり合う声部を〝見通し〟よく整理しクリアに聴かせる音楽作り。第1幕(100分)、第2幕(65分)、第3幕(75分)とやや速めのテンポ設定ながら、タップリと聴かせるべきところはテンポを落としてメリハリを付けるなど、全体を精密にコントロールしていた。

クンドリ(エカテリーナ・グバノヴァ)にキスをされるパルジファル (C)Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath
クンドリ(エカテリーナ・グバノヴァ)にキスをされるパルジファル (C)Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

題名役のアンドレアス・シャーガーは持ち前の強い声を駆使し、前半は荒くれもの的な雰囲気のパルジファルを描き出した。第2幕、クンドリにキスをされて「アムフォルタス!」と絶叫する転換点の迫力ある声は目を見張るものがあった。それ以降のパルジファルの覚醒に合わせた変化もうまく表現していた。また、アムフォルタス役のミヒャエル・フォレやグルネマンツのゲオルク・ツェッペンフェルト、クンドリのエカテリーナ・グバノヴァも役に相応しい歌唱と演技を披露した。

「ローエングリン」(クリスティアン・ティーレマン指揮、ユーヴァル・シャローン演出)

2000年代に入ってからバイロイトにおいて音楽面での大黒柱であったティーレマン。一時は音楽監督の肩書を持っていたが、正式な発表がないままその肩書は消え、23、24年は出演すらなくなっていた。長くバイロイトに通う熱心な観客・聴衆からは音楽面での水準低下を嘆く声があがっていたことも事実である。そのティーレマンが3年ぶりにバイロイトに戻ってきたとあってファンの期待は大きく、チケットは早々に完売。毎年バイロイトに通う日本のオールド・ファンの中にはティーレマン指揮の「ローエングリン」4公演すべてを鑑賞した〝猛者〟もいたほどだ。

オーケストラ・ピットの中のティーレマン。バイロイト音楽祭ホームページより
オーケストラ・ピットの中のティーレマン。バイロイト音楽祭ホームページより

筆者が取材したのは9日、4回目の公演。この日は題名役のピョートル・ベチャワが体調不良のため休演、この役を得意とするクラウス・フロリアン・フォークトが代役を務めた。
指揮者を中心に歌手、合唱、オケが混然一体となってスケールの大きな音楽空間が創出され、祝祭劇場が共鳴して響く〝これぞバイロイト〟ともいうべき圧巻の上演となった。今のバイロイトにとってティーレマンが必要不可欠な存在であることを強く印象付ける出来栄えであった。
ユーヴァル・シャローンによる物語の舞台を現代の発電所に置き換えた「ローエングリン」のプロダクションは2018年にプレミエされたもの。大きな手直しは行われていない。
歌手陣では題名役のフォークトが持ち前の透明感のある美声を自在にコントロールし抜群の存在感を示した。第3幕、ローエングリンが自らの素性を明かす「名乗りの歌」では、超弱音で歌い出し繊細な表現で切々と歌い上げたのは見事であった。これに寄り添うオケのピアニッシモによる支えも実に美しく、こうしたところにもティーレマンの手腕が表れていた。徹底した超弱音による表現は全3幕中、随所で多用され、ダイナミック・レンジが拡がったことでフォルティシモの効果もさらに増幅されることに繋がり、ティーレマンの棒の下、全演者が一体となって創出する音楽空間は圧倒的な説得力をもって観客・聴衆を包み込んだ。終演後は割れんばかりの喝采とバイロイト名物の木の床を踏み鳴らす〝賛辞〟が15分以上も続く大きな盛り上がりとなった。〝バイロイトの音楽監督〟復活を目の当たりにする思いがした。なお、ティーレマンは来年の音楽祭創設150周年の記念で上演される「ニーベルングの指環」(セミステージ形式)の指揮を担当する。

物語の舞台を発電所に読み替えたシャローンによる「ローエングリン」のワンシーン (C)Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath
物語の舞台を発電所に読み替えたシャローンによる「ローエングリン」のワンシーン (C)Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

「トリスタンとイゾルデ」(セミヨン・ビシュコフ指揮、トルレイフル・オルン・アルナルソン演出)再演

昨年新制作されたアイスランド出身の演出家トルレイフル・オルン・アルナルソンによる「トリスタンとイゾルデ」。船をシンボリックに表した舞台装置を背景に〝媚薬〟をあおらないことを除いては台本にほぼ忠実な作りのプロダクションである。

船をシンボリックに表現したアルナルソン演出による「トリスタンとイゾルデ」第1幕のワンシーン (C)Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath
船をシンボリックに表現したアルナルソン演出による「トリスタンとイゾルデ」第1幕のワンシーン (C)Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

昨年に続いて指揮台に立ったセミヨン・ビシュコフはバイロイト祝祭管の重厚なサウンドをフル活用し、濃密な響きで雄大に音楽を進めていく。オケの鳴りも十分。
それにも増して題名役のアンドレアス・シャーガーとカミラ・ニールントの豊かな声が迫力満点であった。第1幕の終盤の周囲がまったく見えなくなった熱狂的な愛情表現や、第2幕、松明(たいまつ)が消える際のイゾルデの絶叫、そして第3幕前半のトリスタンの鬼気迫る熱唱のような場面では大きな効果を発揮していた。その一方で第2幕、密会中の2人の歌唱は〝大声合戦〟のような趣が拭いきれず、夜陰に紛れて愛の逢瀬を行っているデリカシーがいささか不足していた。特にブランゲーネ(エカテリーナ・グバノヴァ)が警告の呼びかけをし、最後は三重唱になる箇所での三者のバランスが悪く、音楽的には美しい場面にもかかわらず、その魅力が少し減退する結果となった。指揮者のもう一段強いコントロールが欲しかった。主役にデリカシーの不足を感じたのは筆者だけではなかったようで、終演後、特にシャーガーにブーイングを出していた観客・聴衆が複数いたことでもそれは明らかであろう。
とはいえ、バイロイト祝祭管の重厚な響きと実力歌手たちの声の競演を十二分に味わい尽くすステージだった、と評価することはできるだろう。

声の競演で観客・聴衆を圧倒したニールント(イゾルデ、右)とシャーガー(トリスタン)(C)Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath
声の競演で観客・聴衆を圧倒したニールント(イゾルデ、右)とシャーガー(トリスタン)(C)Bayreuther Festspiele / Enrico Nawrath

今年の結びにひと言。ここ数年、バイロイトではシャーガーやツェッペンフェルトら特定の歌手が演目を超えて主役級を兼務することが増えている。少し前まであまりなかったことである。バイロイトの水準に相応しい実力や経験を持った歌手が少なくなったことがあるのかもしれない。しかし、歌手への負担は大きく、観客・聴衆の側も同じ歌手が連日登場するのでは〝切り替え〟が追い付かない面もある。今年の最終盤ではツェッペンフェルトが喉を痛め、舞台上で演技をするだけでカバー歌手が舞台袖で歌うという事態があったと聞く。来年で150周年を迎えるバイロイト音楽祭。ティーレマンへの圧倒的な支持などを見るにつけて指揮者人事のあり方や歌手の起用法など200年に向けて音楽面のさらなる充実が求められるところだ。

ステージの下に潜り込むような特殊な構造を持つバイロイト祝祭劇場のオーケストラ・ピットの内部 (C)Bayreuther Festspiele
ステージの下に潜り込むような特殊な構造を持つバイロイト祝祭劇場のオーケストラ・ピットの内部 (C)Bayreuther Festspiele

公演データ

バイロイト音楽祭2025

〇「パルジファル」

8月8日(金)16:00 バイロイト祝祭劇場
指揮:パブロ・エラス=カサ
演出:ジェイ・シャイブ
合唱指揮:トーマス・アイトラー=ド・リント

アムフォルタス:ミヒャエル・フォレ
ティトゥレル:トビアス・ケーラー
グルネマンツ:ゲオルク・ツェッペンフェルト
パルジファル:アンドレアス・シャーガー
クリングソール:ジョーダン・シャナハン
クンドリ: エカテリーナ・グバノヴァ
ほか

バイロイト祝祭合唱団
バイロイト祝祭管弦楽団


〇「ローエングリン」

8月9日(土)16:00 バイロイト祝祭劇場
指揮:クリスティアン・ティーレマン
演出:ユーヴァル・シャローン
合唱指揮:トーマス・アイトラー=ド・リント

ハインリッヒ王:ミカ・カレス
ローエングリン:クラウス・フロリアン・フォークト
エルザ・フォン・ブラバント:エルザ・ファン・デン・ヘーバー
フリードリヒ・フォン・テラムント:オラフール・ジーグルダルソン
オルトルート:ミーナ=リーザ・フェレーラ
ほか

バイロイト祝祭合唱団
バイロイト祝祭管弦楽団


〇「トリスタンとイゾルデ」

8月10日(日)16:00 バイロイト祝祭劇場
指揮:セミヨン・ビシュコフ
演出:トルレイフル・オルン・アルナルソン
合唱指揮:トーマス・アイトラー=ド・リント

トリスタン:アンドレアス・シャーガー
マルケ王: ギュンター・グロイスベック
イゾルデ:カミラ・ニールント
クルヴェナール:ジョーダン・シャナハン
メロート:アレクサンドル・グラサウアー
ブランゲーネ:エカテリーナ・グバノヴァ
ほか

バイロイト祝祭合唱団
バイロイト祝祭管弦楽団

Picture of 宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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