東京・春・音楽祭の中心企画のひとつであるリッカルド・ムーティによるイタリア・オペラ・アカデミーが9月3日から16日までの間、ヴェルディの「アッティラ」を題材に開催された。世界的に活躍する実力歌手を起用しての「アッティラ」の公演レビューを中心に第4弾となる今年のアカデミーを振り返る。(宮嶋 極)
圧巻ということばが相応しいステージであった。取材したのは14日、東京・池袋の東京音楽大学100周年記念ホールで行われた公演。
歌、合唱、オーケストラが混然一体となって繰り広げた「アッティラ」の演奏は終始高い緊張感が維持され、起伏に富んだ表現の連続によって演奏会形式であるにもかかわらず、聴く者の眼前に物語の世界が鮮やかに描き出されたように感じる音楽空間が創出された。これはムーティの指揮だからこそ経験できる特別な演奏であった。それだけに終演後の喝采もすさまじいまでの盛大さで、客席は総立ちに。割れんばかりの拍手はオケ・合唱が退場しても鳴り止まず、大学施設内のホールで控室が離れた場所にあったのだろうか、ムーティはなかなか再登場することなく、誰もいなくなったステージに向かっての拍手が約10分以上も続いたことでもこの日の聴衆が受けた感銘の大きさが窺えた。ようやく舞台上手から現れたムーティは驚いたような表情を浮かべて小走りで下手に集まっていた聴衆のもとへ。聴衆のひとりが見せた「GRAZIE TANTE Mo. MUTTI(マエストロ・ムーティ、本当にありがとう)」と書かれたボードを受け取り、満足そうな表情を浮かべて喝采に応えていた。
オーケストラと若手歌手の公開リハーサルの形で9月3日に開催された「アッティラ作品解説会」(イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 vol.4 リッカルド・ムーティによる「アッティラ」作品解説 | CLASSICNAVI)から7日間にわたるリハーサル、そして12日の若手歌手による公演(リッカルド・ムーティ presents 若い音楽家による「アッティラ」(演奏会形式) | CLASSICNAVI)を経た上で迎えたこの日のステージだけに、ムーティの意思が東京春祭オケ、東京オペラシンガーズのメンバーひとりひとりに120%浸透している様子で、全員が一丸となって世界的に活躍する歌手たちに寄り添い、時には対峙していく様はまさに圧巻のひと言に尽きた。ムーティは「東京春祭オケは私にとって第2のオケ」と語っていた。第1のオケは恐らく終身名誉音楽監督のタイトルを持つシカゴ響か、半世紀以上にわたって良好な関係を続けているウィーン・フィルなのであろうが、そのレベルで東京春祭オケに信頼を寄せる理由がこの日の凄演(せいえん)からも分かった。東京春祭オケは国内のプロ・オケのコンマスや首席奏者を中心に若手プレイヤーで毎年編成されるため、年によってメンバーが若干異なるものの楽団全体には〝ムーティの教え〟が着実に根付いているようだ。
アカデミーではリハーサルが報道陣にも公開された。筆者も2コマ、取材したがムーティの指示でオケや合唱の演奏が大きく変わっていく様は驚きの連続であった。ムーティのヴェルディと作品に対する敬意、そして解釈は確信に満ちており、彼の指示を聞き演奏に耳を傾けているうちに自分自身も音楽の世界に引き込まれていくような説得力があった。83歳とは思えないほどの大きな身振り手振り、そして時折、朗々と歌いながら熱心に指導するムーティの姿からは〝仕事〟ということを超越した使命感と愛情のようなものが感じられた。
さて、14日の演奏に戻ろう。今回の歌手陣は粒ぞろいでムーティの意思を踏まえつつも自らの個性を生かした歌唱を聴かせてくれた。中でもフォレスト役のフランチェスコ・メーリは、張りのある輝かしい声で終演後、歌手の中では最も大きな喝采を集めていた。場面に応じた表現の使い分けも巧みで、プロローグのロマンツァ「彼女は野蛮人に捕らわれて」では、少し不安と憂いを交えた声だったのに対して、第3幕のロマンツァ「哀れな男がどれほどオダベッラにつくしたか」では怒りを込めた激しい歌唱。イルダール・アブドラザコフ(題名役)、アンナ・ピロッツィ(オダベッラ)も強い声からデリケートな弱音まで広いダイナミックレンジを駆使した歌唱で役のキャラクターをドラマティックに表現し、公演成功に大きな力を発揮した。
演奏会形式とはいえ、いや演奏会形式だからこそかもしれないが、これほどの水準で「アッティラ」を聴くことができたのは貴重な機会であった。
公演データ
リッカルド・ムーティ イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 vol.4
ヴェルディ:歌劇「アッティラ」(プロローグ+全3幕/演奏会形式)
9月14日(土)19:00 東京音楽大学100周年記念ホール
9月16日(月・祝)15:00 Bunkamuraオーチャードホール
指揮:リッカルド・ムーティ
アッティラ:イルダール・アブドラザコフ
エツィオ:フランチェスコ・ランドルフィ
オダベッラ:アンナ・ピロッツィ
フォレスト:フランチェスコ・メーリ
ウルディーノ:大槻 孝志
レオーネ:水島 正樹
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:仲田 淳也
管弦楽:東京春祭オーケストラ
コンサートマスター:長原 幸太
みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。