バロック・ヴァイオリンの名手、モンタナーリの指揮
空前の円安が重い日本人に、ジュネーブの物価はこたえる。驚いたのは、500㏄のペットボトルに入ったガス入りの水が、日本円で860円もしたことだった。そんなスイスの首都を訪れたのは、ジュネーブ大劇場でドニゼッティ「ロベルト・デヴェリュー」を観るためだった。6月2日と6日の公演で、メゾソプラノの脇園彩がノッティンガム公爵夫人サラ役にデビューしたのである(鑑賞日は6日)。
脇園が歌うサラを中心に物語を簡単に紹介する。
サラはロベルトと密かに愛し合っていたが、ロベルトは女王エリザベッタの最愛の側近。サラは女王の命で公爵と結婚し、ロベルトとの関係は隠していた。ロベルトが反逆罪に問われると公爵は弁護するが、ロベルトは女物のショールを持っており、女王は嫉妬に狂う。また、ショールがサラのものと知った公爵は2人の不貞を確信し、妻への復讐を誓う。そして女王は死刑判決書に署名する。サラの告白で真実が明らかになるが、時はすでに遅く——。
バロック・ヴァイオリンの名手でもあるステファノ・モンタナーリの指揮は、序曲から旋律とリズムのバランスが抜群で、メリハリが効き間延びはない。ドニゼッティが円熟期に作曲し、1837年に初演されたこのオペラは、管弦楽法も劇的な展開ものちのヴェルディを思わせるが、モンタナーリは劇性と旋律美をたくみに均衡させる。
幕が開き、最初に登場したのがサラ役の脇園だった。無理なく発せられたやわらかい声で紡がれた凛としたフレージングのなかで、言葉の美しさが際立つ。昨秋のボローニャ歌劇場日本公演での「ノルマ」のアダルジーザや、3月の紀尾井ホールでのリサイタルより、声も表現も洗練されたと感じられる。
脇園は公演前にこう語っていた。
「指揮者に『旋律線が真っすぐすぎる』と指摘されました。私は、レガートは発音を意識したり、フレージングに波をつけたりすると途切れると思っていましたが、そうではなく、発音や波をからめて長いフレーズでとらえるのだと指摘され、指揮をしながら指導してもらいました。また、指揮者のアシスタントは小節ごとに、一語一語の発音の仕方を細かく指導してくれました」
効果的な指導を受けた脇園の成長
課題を言語化して克服するのが得意な脇園に、これほど効果的な指導もない。実際、彼女のレガートは洗練され、言葉が明瞭になり、ふくよかさも増していた。そのうえ声自体、少し鼻にかかるところが解消され、磨きがかかっていた。
ほかの歌手は、ロベルト役のメルト・スング(テノール)が旋律を流麗に歌い上げ、表現も柔軟。エリザベッタを歌ったエカテリーナ・バカノヴァ(ソプラノ)は、アジリタの精度に若干欠けるが、この難役を歌いこなし、ソリッドな声ゆえヒステリックな表現にも迫真性が加わった。脇園の声との相性もよい。
圧巻はノッティンガム公爵を歌ったニコラ・アライモ(バリトン)で、包容力のある声を自然に響かせ、弱音から強烈なフォルテまで変幻自在に行き来させた。
脇園と彼らの重唱も聴き応えがあった。第2幕のロベルトとの二重唱では官能性さえ表現し、第3幕の公爵との二重唱では、2人が抜群の呼吸で激しい応酬を繰り広げた。感情をぶつけ合う場面に迫真性をあたえようとすると絶叫調になりがちだが、2人は声と音楽が崩れる一歩手前まで迫りながら、絶妙に留まる。だから音楽と声の美しさは高水準で保たれた。至芸だといえよう。
脇園はこんなことも語っていた。「アライモはレガートにピアニッシモを加えたすばらしいフレージングで、聴いているだけで勉強になります。レガートと発音をどう両立させているのかと聞いたら、『秘密はないけど、子音を少し先に出して長くし、母音も長く保つ』といっていました」。脇園は歌いながらも前進している。
フランスの女性演出家マリアム・クレマンは年老いたエリザベッタを強調し、折々に若いころの女王をいまの女王が眺める場面が加えられた。それをふくめ、現代的なテイストを加えた舞台装置は美しく、読み替えることなく演劇的に掘り下げられ、歌手たちは歌いやすそうだった。
カーテンコールではアライモが万雷の拍手を浴びたが、次に拍手が多かったのは脇園だった。
公演データ
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。