2022年師走の「第九」 在京オーケストラ公演聴き比べ~②

 22年末に行われた在京オーケストラによるベートーヴェンの第9交響曲の演奏会レビュー後編は東京都交響楽団、東京交響楽団、そして指揮者が広上淳一に交代した大みそか恒例のベートーヴェン交響曲ツィクルスについてリポートします。(宮嶋極)

【エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団】

 東京都交響楽団の第9を指揮したのは同団桂冠指揮者のエリアフ・インバル。都響との関係は30年以上にも及び、その間、プリンシパル・コンダクターなどの肩書を持つなどしながら、2度マーラー・ツィクルスを行って高い評価を得てきたことは多くの音楽ファンの知るところである。そんなインバルだけに都響をコントロールする〝ツボ〟を熟知しており、このオケのポテンシャルが余すところなく引き出され、高水準の演奏を聴くことができた。12月20日からスタートした昨年末の第9交響曲連続取材において初めてオケ退場後も喝采が鳴り止まず、指揮者がひとりステージに呼び戻される、いわゆる〝ソロ・カーテンコール〟が行われた。聴衆に訴えかける力が強かったということの表れであろう。

 弦楽器は16型、木管楽器を倍管にするなど大編成ではあったが過度に重々しくなることなく、全曲にわたって高い緊張感が維持され、速めのテンポできびきびと演奏が進められていく。凝縮されたサウンドの構築はインバルが得意とするところであり、パート間の対話を丁寧に積み重ねながら全体としてはスケールの大きな音楽に仕上げていったのはまさに彼の真骨頂といえよう。現在86歳、指揮姿もそうだが、オケに対するコントロール力に衰えは感じられず、今後ますます円熟の度を深めていってくれることが期待される。

エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団 (C) TMSO
エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団 (C) TMSO

公演データ

使用譜面:ブライトコプフ版

弦楽器:第1ヴァイオリン16 第2ヴァイオリン14 ヴィオラ12 チェロ10 コントラバス8
管楽器:木管は倍管、ホルンに1アシ                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        
演奏時間:61分
独唱:隠岐 彩夏(S)加納 悦子(MS)村上 公太(T)妻屋 秀和(Bs)
合唱:二期会合唱団(66人)
コンマス:矢部 達哉
取材:12月24日 東京芸術劇場コンサートホール

【ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団】

 東京交響楽団はここ数年、暮れの押し迫った頃に2日間だけ、音楽監督ジョナサン・ノット指揮による第9公演を開催している。筆者がこれを取材したのは2年ぶり3度目となる。今回はその著しい進化と充実ぶりに驚かされた。

 

このコンビは昨年11月にリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」の公演を行い、各方面から高い評価を集めた。(クラシックナビ執筆者が選ぶ22年開催のベスト公演にも選出された。先月のピカイチ 来月のイチオシ:クラシックナビ執筆者が選ぶ2022年開催公演ベスト10

 

その勢いのまま第9公演を迎えたこともあり、ノットと東響メンバーの気迫と気力は並々ならぬものがあった。それは小林壱成をはじめ3人のコンマスが同時に出演していた点にもオケの意気込みが表れていた。

 

ベーレンライター版を採用し弦楽器は13・12・8・6・5の編成、ヴァイオリンは第1と第2を対抗配置とし、全曲にわたってノーヴィブラート。作曲家在世当時の演奏法を再現するピリオド(時代)奏法の要素を取り入れたスタイルはこれまでと同様だが、その進化と深化には目を見張るものがあった。21世紀におけるモダン・オケによるベートーヴェンの作品演奏の目指すべき姿といっても過言ではないだろう。

 

終演後に配信動画でスコアを見ながら再確認してみたが、譜面に記載された指示をほぼすべて実行していたのは驚きであった。それはテンポ設定、アーティキュレーション(音と音の繋げ方)などあらゆる面にわたりベートーヴェンの意図をできるだけ忠実に再現しようとするノットの強い意志が感じられた。リピート記号をすべて実行したにもかかわらず全曲を61分で終える速いテンポながら、無機質になる場面は一切なく、木管のソロには豊かな表情付けがなされ、弦楽器の細かい刻みに至るまで強弱の変化が徹底されていた。前半楽章では弦楽器セクションの全弓をフル活用した速いボウイングによって音にスピード感、緊迫感がもたらされ、管楽器も含めたアンサンブルは緊密で激しいものであった。第3楽章96小節目に登場するスケール(音階)のようなホルンのソロを首席奏者ではなく譜面の指定通り4番に吹かせていたほか、第4楽章の有名な「歓喜の主題」のアーティキュレーションも慣用的な処理を行わず、指示通りに1小節単位で演奏させるなど細かい点に至るまでベートーヴェンの考えを余すところなく表現しようとするノットの思いに楽員すべてが気持ちを同じくして全力で演奏を進めていく様は聴衆の心を大きく揺り動かすものであった。当然のごとく、終演後はオケが退場しても拍手が鳴り止まず、ノットがステージに呼び戻され大喝采に応えていた。以前、ノット本人に直接伝えたことがあるのだが、ベートーヴェン・ツィクルスをぜひ聴いてみたいものである。

 

また、第9終演後には毎年恒例ではあるが、会場の灯りを落としてペンライトの光だけで「ホタルの光」が演奏され、ステージと客席が一体となって去り行く2022年に思いを馳せた。

ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 (C)T.Tairadate / TSO
ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 (C)T.Tairadate / TSO

公演データ

使用譜面:ベーレンライター版
弦楽器:第1ヴァイオリン13 第2ヴァイオリン12 ヴィオラ8 チェロ6 コントラバス5
管楽器:譜面の指定通り
演奏時間:61分(第2楽章の繰り返しをすべて実行)
独唱:隠岐 彩夏(S)秋本 悠希(MS)小堀 勇介(T)与那城 敬(Br)
合唱:東響コーラス(112人)
合唱指揮:冨平 恭平
コンマス:小林 壱成
取材:12月28日 サントリーホール

【ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会】

 大みそか恒例のベートーヴェンの全交響曲連続演奏会は今回で20回目を迎えた。20回中14回を指揮した小林研一郎が21年大みそかの公演をもって〝卒業〟したことを受けて昨年は広上淳一が〝振るマラソン〟ともいえる長丁場の指揮に初挑戦した。全9曲をすべて聴いたが、彼のベートーヴェンに対する考え方がおぼろげながら見えてきたような気がした。

 

 指揮者が交代するとオケや会場が同じでも随分と雰囲気が変わってくるものである。炎のマエストロの異名を持つコバケンは情熱タップリのベートーヴェンで会場を沸かせたが、広上は誠実に譜面に向き合い、ひとつひとつのフレーズや音符の奥にある楽聖の精神を掘り下げていこうという意思を感じさせてくれる演奏であった。それは各作品の背景、とりわけ第9には「人類愛」を希求する思いが込められているというものではないだろうか。

 

第9をはじめ初期の作品も14型の弦楽器編成で通したことは目を引いた。コンサートマスターの篠崎史紀(N響第1コンマス)を筆頭にN響メンバーが中心になって編成されるイワキ・メモリアル・オケから広上は重心の低い響きを導き出し、堅固な土台の上に建造物を建てていくような音楽作りを行っていた。第9は全体に遅めのテンポで、丹念にアンサンブルを組み立ていくことで背景にある「人類愛」に光を当てようとの広上の思いが実際の演奏として具現化され、コバケンの時とはひと味ちがったしみじみとした感動を呼び起こした。

 

聴衆には各曲の始まりと終わりの時刻を記したタイムテーブルが配布されるのだか、広上は計ったように予定時刻ピッタリに演奏を終わらせていたことも興味深かった。また、20回を記念して普段取り上げられる機会の少ない戦争交響曲「ウエリントンの勝利」も第1番の前に演奏された。

広上淳一指揮 岩城宏之メモリアル・オーケストラ(C) Michiko Yamamoto
広上淳一指揮 岩城宏之メモリアル・オーケストラ(C) Michiko Yamamoto

公演データ

指揮:広上 淳一
演奏:岩城宏之メモリアル・オーケストラ
使用譜面:ブライトコプフ版
弦楽器:第1ヴァイオリン14 第2ヴァイオリン12 ヴィオラ10 チェロ8 コントラバス7
管楽器:木管が倍管、ホルンとトランペットに1アシ
演奏時間:69分(第2楽章の繰り返しはなし)
独唱:中村 恵理(S)池田 香織(A)宮里 直樹(T)池内 響(Br)
合唱:ベートーヴェン全交響曲連続演奏会特別合唱団(60人)
コンマス:篠崎 史紀
取材:12月31日 東京文化会館大ホール

宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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