毎年お伝えしている在京オーケストラによる年末恒例のベートーヴェンの第9番コンサートのリポート、コロナ禍における3度目の師走となった2022年末は7公演を取材した。世界的にもウィズ・コロナが進み音楽界も徐々に日常を取り戻しつつあった昨年末、21年まで約40人に制限していた合唱団の人数を増やすなどウィズから脱コロナに舵を切る動きが目立った。再び個性を競い合う形となった7つの第9を公演日順に2回に分けて振り返る。(宮嶋 極)
【鈴木優人指揮、読売日本交響楽団】
読響は「指揮者、クリエイティヴ・パートナー」のタイトルを持つ鈴木優人がタクトを執った。弦楽器は12型、合唱が41人という少ない人数であったが、新型コロナの感染防止対策の意味合いもさることながら、古楽演奏に精通した鈴木だけに19世紀前半に創作されたこの曲を現代オケで演奏する際の適正規模と考えた可能性もあるだろう。実際、ピリオド奏法の要素を適度に取り入れながら、現代オケの機能も活用しバランスのよい演奏に仕上げていたからだ。
読響の透明度の高いサウンドを使って鈴木が紡ぎ出した第9は過度に激することなく美しさにあふれ、この曲の背景にある「人類愛」というテーマを今さらながらに意識させてくれるものであった。
弦楽器のヴィブラートは最小限、随所でアクセントを明確に表し、木管のアンサンブルを弦楽器の音の渦に埋没させることなく生き生きと歌わせ聴かせるあたりは古楽演奏のスタイルの延長線にあるものといえよう。現代オケでこうした奏法を採ると音が鋭角的になったりもするが、全曲にわたってそうしたことはなく声楽も含めて絶妙の調和が保たれた美しい響きは、こうしたアプローチもあるのか、と感心させられるものであった。
公演データ
使用譜面:ベーライター版
弦楽器:第1ヴァイオリン12 第2ヴァイオリン 12 ヴィオラ 9 チェロ 8 コントラバス 6
管楽器:指定通り
演奏時間:66分(第2楽章の繰り返しあり)
独唱:キャロリン・サンプソン(S)/オリヴィア・フェアミューレン(MS)/
櫻田 亮(T)/クリスティアン・イムラー(B)
合唱:新国立劇場合唱団(41人)
合唱指揮:冨平 恭平
コンマス:小森谷 巧
取材:12月20日 サントリーホール
【井上 道義指揮 NHK交響楽団】
N響の指揮台に立ったのは24年末での引退を表明している井上道義である。公演期間中に76歳を迎えた井上だが、その指揮姿からは老いを感じさせる要素はみじんもなく、音楽もエネルギーに満ちあふれていた。短期間に連続して聴いていると第9は指揮者の作品に対する思想はもちろんたが、その人の〝今〟を他の作品にも増して映し出す鏡のように思えてくる。井上の演奏もほとばしる気迫が音楽に乗り移ったかのように聴こえてきた。
弦楽器16型を基本としたフル編成、木管各パートに1人を増強(1アシ)、N響の重心の低い重厚なサウンドをフル活用し第1楽章から力強い響きを構築しながら曲が進む。井上は自らが中心となって取り組むオペラのシリーズでモーツァルトを取り上げた時にはピリオドに寄せた音楽作りをしていたので、第9もこうしたスタイルを少し取り入れた演奏をするのかと勝手に予想していたが、ブライトコプフ版の譜面を使い、約80人のコーラスを擁して情熱にあふれたスケールの大きな第9を作り出したのには少し驚いた。
第4楽章331小節目からのマーチの部分ではピッコロと大太鼓、シンバル、トライアングルを第1ヴァイオリンの後ろあたりに配して、際立たせていたのも面白かった。コーダに入り916小節目、マエストーソ(荘厳に)と指示されている部分ではテンポを落としてタップリに歌い込み20世紀の巨匠たちのような壮大なフィナーレを創出した。
公演データ
使用譜面:ブライトコプフ版
繰り返し:譜面の指定通り
弦楽器:第1ヴァイオリン15 第2ヴァイオリン14 ヴィオラ12 チェロ10 コントラバス8
管楽器:木管に1アシ(コントラファゴットへの持ち替えも兼ねる)
演奏時間:69分
独唱:クリスティーナ・ランツハマー(S)藤村 実穂子(MS)
ベンヤミン・ブルンス(T)ゴデルジ・ジャネリーゼ(B)
合唱:新国立劇場合唱団、東京オペラシンガーズ(79人)
合唱指揮:三澤 洋史
コンマス:白井 圭
取材:12月21日 NHKホール
【尾高 忠明指揮 東京フィルハーモニー交響楽団】
尾高忠明は21年末のN響に続いて昨年末は桂冠指揮者の肩書を持つ東京フィルの第9を担当した。採用譜面はN響の時と同じくベーレンライター版をベースにブライトコプフ版の要素も一部残した尾高ならではのスタイル。オケの編成も小さめで取材した回の会場である東京オペラシティにはちょうどよい響き方で、ピリオド・スタイルをはじめさまざまな演奏様式が混在する21世紀において、現代オケによるベートーヴェンの作品演奏としては多くの聴衆にとって受け入れやすいものであった。
演奏内容も昨年同様、必要以上に音楽を煽り立てるようなことはしないが、丁寧な組み立てによって内部にしっかりと情熱を蓄えて作品の奥深さを表現していく。第4楽章のコーダの最終部分こそ、高速テンポで熱狂のフィナーレを作り出したが、全体としてはどっしりとした安定感の中に深みを感じさせてくれる秀演であり、オケが変わっても自分の音楽をぶれることなくしっかりと表現していた点はさすが経験豊かな名匠の至芸と感じた。
公演データ
使用譜面:ベーライター版をベースにブライトコプフ版の要素もミックス
弦楽器:第1ヴァイオリン11 第2ヴァイオリン10 ヴィオラ8 チェロ6 コントラバス5
管楽器:譜面の指定通り、ホルンに1アシ
演奏時間:66分
独唱:迫田 美帆(S)中島 郁子(A)清水 徹太郎(T)上江 隼人(Br)
合唱:新国立劇場合唱団(50人)
合唱指揮:河原 哲也
コンマス:三浦 章宏
取材:12月22日 東京オペラシティ コンサートホール
【小林 研一郎指揮 日本フィルハーモニー交響楽団】
自分の解釈をぶれることなく表現するという点では、82歳の小林研一郎も同じであった。22年末は日本フィルを指揮しての第9となった。筆者は21年まで小林の指揮で大みそかに開催されるベートーヴェンの交響曲ツィクルスを毎年取材していたことで彼の第9が脳裏に焼き付けられた状態にあることを日本フィルとの演奏を聴いているうちに気付かされた。大みそかの公演はN響メンバーを中心に編成されるイワキ・メモリアル・オケであり両者の特性はまったく異なるものなのだが、オケが違えどもコバケンが作品から引き出す雰囲気やエネルギーに大きな違いはなかったからだ。聴いている途中で大みそかの公演会場である東京文化会館に座っているような錯覚に襲われたほどである。小林の第9は炎のマエストロらしく、昨今の演奏様式云々を超越し人間味にあふれた熱い演奏となることが常である。メッセージ性の強い第9という作品に内在するエネルギーが小林という指揮者のフィルターを通してオケから放出されると、例え楽団の性質が違っていても聴く者を同じような感覚に陥らせる。大ベテランならではの老練な手腕を見た思いがした。
公演データ
使用譜面:ブライトコプフ版
弦楽器:第1ヴァイオリン14 第2ヴァイオリン12 ヴィオラ9 チェロ8 コントラバス7
管楽器:譜面の指定通り
演奏時間:70分
独唱:小川 栞奈(S)山下 牧子(MS)錦織 健(T)大沼 徹(Br)
合唱:東京音楽大学(70人)
コンマス:木野 雅之
取材:12月23日 東京芸術劇場 コンサートホール
みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。