イタリア現地「オペラ」レポート 2024年3月(下)
ミラノ・スカラ座で珠玉のローザ・フェオラ
トリノ王立劇場で引き締まった「西部の娘」

トリノ王立劇場「西部の娘」より。舞台を同作映画の撮影現場に置きかえ、劇中劇として扱う (C)Daniele Ratti@Teatro Regio Torino
トリノ王立劇場「西部の娘」より。舞台を同作映画の撮影現場に置きかえ、劇中劇として扱う (C)Daniele Ratti@Teatro Regio Torino

イタリアのプリマによる極上の2時間

3月下旬、ミラノ・スカラ座に赴いた理由の一つはロッシーニ「ギヨーム・テル」だったが、大きな動機がもう一つあった。3月24日、ローザ・フェオラのリサイタルが開催されたのである。フェオラは現役のソプラノのなかで、私がもっとも評価する歌手。本人から「自分のキャリアにおける非常に重要な演奏会」と聴いており、特別な機会を逃したくなかった。

 

フェオラはベルカント作品を中心に、世界のオペラシーンで最重要のソプラノの一人だが、日本ではまだ著名とはいえない。だが、今年(2024年)10月には、日本も世界に追いつくだろう。新国立劇場2024/2025シーズンの開幕公演、ベッリーニ「夢遊病の女」でヒロインのアミーナを歌うからである。

リサイタルで歌うフェオラ(ピアノはチェンタンニ) (C)Brescia e Amisano / Teatro alla Scala
リサイタルで歌うフェオラ(ピアノはチェンタンニ) (C)Brescia e Amisano / Teatro alla Scala

ピアノは曲のニュアンスを強く表出しながら歌と見事にからむファビオ・チェンタンニで、まずロッシーニ「音楽の夜会」から〝ヴェネツィアの競艇〟。柔軟なテクニックで洒脱に歌い上げ、無理のない美しい声が自在に飛翔する。マルトゥッチ「三つの小品」では、ロマン主義的な叙情性が繊細に弾け、レスピーギ「トスカーナ地方の四つの恋歌」では、近代的和声のうえで色彩が横溢(おういつ)。ドビュッシー「放蕩息子」の〝アザエル、なぜ私のもとを去ったのか〟では、透明な表現が冴えわたった。

 

後半は、まず「ドン・ジョヴァンニ」から、スカラ座研修所の若いテノールを相手にアンナの〝今こそお分かりでしょう〟。気品ある旋律から強い感情が浮き上がる。ロッシーニ「セミラーミデ」の〝麗しい光が〟は、至難のアジリタのフレーズを、力を抜いて自在に、軽やかに歌い上げる。「ランメルモールのルチア」の〝辺りは静けさに包まれ〟では、磨かれ抜かれたレガートが光る。フェオラの歌唱は装飾歌唱とレガートが自然に接続し、すべての表現がなめらかな点が特筆に値する。しかも、なめらかな美声で倍音が輝く。アンコールで歌った「トゥーランドット」の〝お聴きください、王子様〟も、美しすぎるほどのレガートに悲痛な感情が添えられ、最高のリューだった。

ドンナ・アンナはスカラ座アカデミーのテノールと歌った (C)Brescia e Amisano / Teatro alla Scala
ドンナ・アンナはスカラ座アカデミーのテノールと歌った (C)Brescia e Amisano / Teatro alla Scala

さまざまに充実していたトリノの「西部の娘」

3月27日、28日はトリノ王立劇場で「西部の娘」を鑑賞した。没後100年の今年、イタリアでもプッチーニの上演が目立つ。

 

プッチーニのオペラとしては人気作とはいえないが、一人の女性をめぐって本命の男と横恋慕(よこれんぼ)する男が争い、ヒロインが恋人の命を救うべく後者をあざむくという筋は、じつは「トスカ」とよく似ている。また、ドビュッシーの影響も明らかな近代的和声も特徴で、「トスカ」以上の劇的な雰囲気が生み出されている。指揮のフランチェスコ・イヴァン・チャンパが、速めのテンポと引き締まった音運びで、そうした音楽的特性をよく表現した。

第1幕の酒場「ポルカ」。上段中央がミニー (C)Daniele Ratti@Teatro Regio Torino
第1幕の酒場「ポルカ」。上段中央がミニー (C)Daniele Ratti@Teatro Regio Torino

ヴァレンティーナ・カッラスコの演出は、舞台を映画「西部の娘」の撮影現場とし、劇中劇として扱うという、近年よく見られるスタイル。劇中劇自体は読み替えのないオーソドックスな設定なので、物語の展開はよくわかる。不自然な読み替えに頼らず舞台に変化をつけられる、という点で、効果的といえなくもない。また、ミニーとジョンソンのはじめてのキスがスクリーンに映し出され、2人の微妙な表情が伝えられたり、客席からは見えないミニーの家の裏で撃たれたジョンソンを、カメラが追ってスクリーンに映したりと、映画のカメラが入ってこその効果もあった。

第3幕、処刑されそうになるジョンソン (C)Daniele Ratti@Teatro Regio Torino
第3幕、処刑されそうになるジョンソン (C)Daniele Ratti@Teatro Regio Torino

歌手はミニーがオクサナ・ディーカ(27日)とジェニファー・ローリー(28日)、ディック・ジョンソンがアマディ・ラガ(27日)、ロベルト・アローニカ(28日)、ジャック・ランスがマッシモ・カヴァレッティ(27日)とガブリエーレ・ヴィヴィアーニ(28日)。両日ともバランスがとれたキャストだったが、なかではローリーの芯のある叙情性、ラガの実直な力強さ、ヴィヴィアーニのスタイルが崩れない押し出しの強さが印象に残った。

 

この水準の舞台が増えれば、「西部の娘」はもっと人気が出るに違いない。

ラストシーン。終始「映画」が撮影されている (C)Daniele Ratti@Teatro Regio Torino
ラストシーン。終始「映画」が撮影されている (C)Daniele Ratti@Teatro Regio Torino

公演データ

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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