イタリアの名門、ボローニャ歌劇場が4年ぶりに来日し、ベッリーニの傑作「ノルマ」とプッチーニの「トスカ」を上演した。2つの演目から、選りすぐりの歌手が名演を繰り広げた「ノルマ」の様子を、オペラ評論家の香原斗志さんにレポートしていただく(取材日:11月5日 東京文化会館)。
4年ぶりに来日したボローニャ歌劇場が持ってきたベッリーニの「ノルマ」。ベルカントの最高傑作、またはイタリア・オペラの最高峰とさえ呼ばれる。ヒロインのノルマは人々を統率する巫女(みこ)長なのに、敵の総督ポッリオーネとのあいだに子供までもうけ、だが、その男に捨てられ、子供を殺そうとまで思い悩む。恋敵の若い巫女アダルジーザをいけにえにすることも考えるが、土壇場で罪を告白し、みずから死地へと赴く。
ベッリーニは高潔なまでに優美な旋律に劇的な表現も加えて、ノルマの心の成長を描いており、それが十全に表現されると大きな感動を呼ぶ。だから傑作と称されるのだが、すなわちノルマを中心とした歌手には、声の力で複雑なドラマを描くことが求められる。結論を先に述べれば、まさに「十全に表現され」た公演だった。
力強い全合奏ではじまる序曲は、その勢いのまま奏されることもあるが、指揮者のファブリツィオ・マリア・カルミナーティは軽みを加え柔軟に運ぶ。それはこの日の上演を象徴していた。幕が開くと、導入の合唱でイタリアらしい輝きを浴びせられ、続いてアンドレア・コンチェッティ(バス)が歌うオロヴェーゾ(ノルマの父)が、端正な歌唱で宗教指導者らしい厳かな存在感を放った。
舞台はシンプルで、焼け焦げた木らしきものがいくつか立っているにすぎない。演出家はかつての人気ソプラノ、ステファニア・ボンファデッリで、衣装から察するに、古代ローマ時代の話を現代の侵略戦争に置き換えていると思われる。それも十分には伝わらないが、簡素な舞台は音楽に集中する助けになったともいえる。集中すべき音楽があったからである。
ポッリオーネ役のラモン・バルガスは声が以前より力強くなったが、伸びやかで美しいフレージングは健在。この役は後期のヴェルディやヴェリズモが得意なドラマティック・テノールがよく歌うが、そういう歌手にはベッリーニに不可欠な優美な音の運びは望めない。その点でバルガスは、力強さと美しさがバランスされている。初役だが、堂に入ったポッリオーネだった。
ノルマ役のフランチェスカ・ドットは、第一声から凛(りん)とした美しさを示し、コントロールが行き届いて弱音も乱れない。著名なアリア「清らかな女神」は低音域から高音域まで均質な声に、巫女長ならではの気高さが加えられた崇高な歌唱。また、カバレッタでは声を押さず、美しい響きを維持しながら力強さを表現できる。
そんなドットに少しも負けない存在感を示したのが、アダルジーザを歌った脇園彩だった。レガートが磨かれ、フレーズに強弱が自在につけられ、磨かれた歌に乗せて微妙で複雑な心情が伝わる。また、以前より無理なく声を拡大でき、高いC(ド)の音にも余裕がある。
メッゾ・ソプラノが歌うことが多いアダルジーザだが、スコアには「ソプラノ」と記され、初演でも軽い声のソプラノが歌った。ベッリーニは年上のノルマに劇的な声を、年下のアダルジーザには軽めの声を設定したのだ。脇園はメッゾだが声を軽やかに響かせ、少しくすんだ声のドットの声との対比も明瞭。だから第1幕も第2幕も、2人の二重唱の美しさが際立った。しかも、脇園は体調が万全でないなかでこの歌唱とは、恐れ入るしかない。
フィナーレのノルマとポッリオーネの二重唱の美しさも特筆される。ノルマが自身の罪を告白する際の、メッサ・ディ・ヴォーチェによる声の弧。美しいピアニッシモを多用する2人の声のからみ合い。とりわけ怒りも悲しみも諦念も、すべてを受け入れての達観も、高度に維持された均質な声にニュアンスとしてからめたドットのベルカントの技。
ニュアンスが多彩で、歌手のように呼吸するカルミナーティの指揮と、それに導かれ、すべての感情とすべてのドラマを、制御された声の上で表現するすぐれた歌手たち。演出が語らずとも音楽がすべてを語った、心に響く「ノルマ」だった。
公演データ
ボローニャ歌劇場日本公演 ベリーニ「ノルマ」
全2幕 イタリア語上演日本語字幕付き
11月3日(金・祝)15:00、5日(日)15:00 東京文化会館
11日(土)15:00 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール
指揮:ファブリツィオ・マリア・カルミナーティ
演出:ステファニア・ボンファデッリ
ノルマ:フランチェスカ・ドット
ポッリオーネ:ラモン・バルガス
アダルジーザ:脇園 彩
オロヴェーゾ:アンドレア・コンチェッティ
管弦楽:ボローニャ歌劇場管弦楽団
合唱:ボローニャ歌劇場合唱団
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。