「今日を限りと戦い……」などと言うと壇の浦の平家軍みたいだが、実績もあり名声も高い国内屈指のプロの大オーケストラが解散に追い込まれ、最後の定期演奏会で死力を振るって演奏するという、ドラマのような話が現実にあったのだ。
1972年6月の日本フィルハーモニー交響楽団がそれである。楽団が専属元のフジテレビ&文化放送と待遇面で激しく対立し、前年暮に民音主催の「第9」公演をストでキャンセルした事件が決定打となり、放送局側が3月末をもって楽団への運営資金を全面的に打ち切り、6月末で財団法人を解散すると宣言したのだった。この一件は、大きな社会問題にもなった。そして6月16日の、シーズン最後の定期演奏会。日本フィルは、当時の首席指揮者・小澤征爾氏とともに、マーラーの第2交響曲「復活」を全力で演奏した(これは偶然にもシーズン当初から予定されていたプログラムだった)。
当時FM東京の番組ディレクターだった筆者は、フジテレビと文化放送が手を引くや、ただちに現場に乗り込み、日本フィルをFM東京の放送に乗せることにした。番組にしたのは、支援を目的とする室内楽演奏会一つ、5月のエールリンク氏指揮の定期、それに6月の小澤征爾氏指揮の2つの定期などで、特に「復活」はすこぶる大きな反響を呼んだものだった。
この話は、当「クラシックナビ」掲載の拙稿「マエストロたちのあの日、あの時」の第45回(2024年3月)に書いたことがある。そして筆者はその中で、「この『復活』の録音テープは現存しているが、いまだにCD化されていないのは、痛恨の極みである」と書いたのだが——それがようやく今回、ユニバーサルミュージックからCDで世に出ることになった。ただしバラ売りではなく、「小澤征爾エディション」という、小澤征爾氏の若い時期から最近の録音まで、各レーベルの音源を集めたCD238枚組という膨大なセットの中の1枚としてなのだが、とにかくこれまで、複数のレコード会社がCD化を試みながらも、主として著作権に関するさまざまな問題のため果たせず、放送局のデータの中に眠っていたあの世紀の名演が、半世紀ぶりにまた愛好家たちの耳に届くことが可能になったのである。当日東京文化会館大ホールの中継室で演奏を録音し、番組として制作し、ほぼ1週間後に放送したその担当者だった筆者にとっては、これほど嬉しいことはない。
マスタリングされた音源を聴き直してみるとき、その演奏の凄まじさには、改めて驚嘆せずにはいられない。特に第5楽章、打楽器の猛烈なクレッシェンドに始まる部分など、「狂乱の演奏」とはこういうものを謂(い)うのではないかと思われるほどだ。いや、「怒りの演奏」だったと言っていいかもしれない。当時の日本フィルの内部には、闘争方針をめぐって激しい対立があったのだが、それらは本番ではすべて棚上げにされ、楽員たちはただ演奏にのみ力を合わせるというプロ意識に徹した。合唱を含めた全曲大詰めの昂揚部分にいたっては、一種のディオニュソス的な熱狂の演奏だったと喩(たと)えていいだろう。当時の首席フルート奏者だった故・峰岸壮一氏がのちに「あの時はみんなが興奮状態だったから、やり過ぎてしまったかもしれない」と回想していたが、オーケストラが置かれていた切羽詰まった状況を考えれば、むしろあのような、死に物狂いの演奏こそが相応(ふさわ)しかったのではなかろうか。
旧財団法人の日本フィルは、流れに抗し難く、この演奏後、6月30日をもって解散した。楽員たちはそれぞれの考え方のもとに、一つのグループは「日本フィル」を継承し、もう一つのグループは小澤征爾氏を中心に「新日本フィル」を結成した。いずれも自主運営オーケストラとして苦難を乗り越え、今日の盛況に至っていることは、周知の通りである。
とうじょう・ひろお
早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。










