心が通った曲が心に染み込むのを味わうよろこび
辻󠄀井伸行のピアノを聴くと、ほかの演奏家のものとは心への染み込み方が違うと感じる。善し悪しを超えたタイプの違いだが、深くて豊かな音色に頭よりも胸が刺激される。技術も申し分ないが、あくまでも辻󠄀井が感じ取ったものを具現化するための技術であり、しっかり聴こうと頭で待ち構えていても、心が通った音楽そのものに心が刺激される。
今回は1時間の短いリサイタルだったが、まさにいま述べたような刺激があふれ、最初の曲、プーランクの「3つのノヴェレッテ」に早くもやられた。ハ長調の第1番から思いのほか素朴な音色で、曲が醸し出す温かな幸福感が強調される。変ロ短調の第2番も、情感がとても繊細に表現され、それが品格にまで昇華されている。そしてホ短調の第3番。ここでは、ファリャのバレエ音楽「恋は魔術師」のなかの〝パントマイム〟の主題が使われ、逆説的な言い方になるが、そこはかとない哀愁が、温かくも感じられる。
ファリャが出てきたので、続いてはファリャを演奏すべきだということで、はじめてスペインの音楽に挑戦することにしたという。ファリャの「恋は魔術師」(作曲者によるバレエ音楽のピアノ版)は、どこかに哀感が滲(にじ)む情緒を漂わせながら、物語が力強く表現された。とくに終曲「火祭りの踊り」。燃え上がり、燃え広がるようなトリルの炎が、非常に技巧的に表現されるはずで、たしかに情熱は技巧に支えられているが、辻󠄀井の手にかかると、激しい炎にも心が通う。
そしてリスト。「愛の夢第3番」は叙情性のなかに情熱がたぎる。プログラム最後の「スペイン狂詩曲」も、鮮やかな運指により導かれた深い哀愁に、心が溺れそうな感覚になる。
アンコールのバルトーク「ルーマニア民俗舞曲」も美しさが際立った。結局、最後まで心が刺激され、冷静に聴き続けることは難しかった。大ホールが常に満席になり、大きな声援に包まれる辻󠄀井。いったん心が刺激される経験をすると、その理由は体で理解できる。
(香原斗志)
公演データ
サントリーホール ARKクラシックス
ARK SOLOISTS 1 辻󠄀井伸行「愛と情熱のピアノ」
10月3日(土)12:00サントリーホール 大ホール
ピアノ:辻󠄀井伸行
プログラム
プーランク:3つのノヴェレッテ
ファリャ:恋は魔術師(作曲者によるピアノ版)
パントマイム/情景/きつね火の歌/恐怖の踊り/魔法の輪/真夜中/火祭りの踊り
リスト:愛の夢 第3番
リスト:スペイン狂詩曲
アンコール
ショパン:ノクターンOp.20
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
カプースチン:8つの演奏会用練習曲 第1番 前奏曲
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。










