オール・ブラームス・プログラムで圧巻の演奏!作曲家晩年のほの暗い情熱を、この上ない美しさを湛えた音の雫で描き出す
牛田智大は、現在、ブラームスが晩年に書き上げた4つのピアノ小品集によるリサイタル・ツアーに挑んでいる。
2025年10月、私は牛田にこのブラームス・プログラムについて少し話を訊(き)いた。コンクールに向けてずっとショパンに取り組むなかで、ブラームスの作品119をたまたま耳にしたことがきっかけだったという。
ブラームスが晩年に書き上げた作品116・117・118・119の4つの小品集は、彼のそれまでの創作の集約ともいえる。この日の牛田は、うっすらとペシミスティックな雰囲気を漂わせ、同時にさまざまな情緒を描き出し、晩年のブラームスの屈折した心の世界を浮かび上がらせる。また、多くの作品の中間部において、作曲家の内なる情熱を大胆に引き出し、それはあたかも内なる感情を吐露するかのようであった。
プログラム冒頭は、「7つの幻想曲」作品116。第1曲〝奇想曲〟を、ラプソディックに弾き始める。これほどの奔放な表現は、これまでの彼の演奏で感じたことがない。同時に、牛田らしい緻密な解釈も発揮され、ブラームス特有の浮遊するような表現も巧みに織り混ぜ、音楽に豊かな陰影をもたらした。第3曲〝奇想曲〟の中間部では、力強い和音や3つの音によるモティーフを絶妙に構築。彼の指先から生み出される抱擁感に満ちたサウンドは壮大で美しい。第4曲〝間奏曲〟では、揺らぐような長調と短調の微細な変化や静かに鳴り響く非和声音に、作曲家の繊細な心の動きを見た思いがする。
牛田は、そのまま「3つの間奏曲」作品117を弾き続ける。この曲集の演奏においても、重苦しい陰鬱(いんうつ)さはない。多声による書法が際立つ曲集であるが、牛田は音の響きを徹底的にコントロールする。厚ぼったさを削ぎ落とし、メロディを静かに歌い上げ、ことさらに哀しみをいざなう。
休憩をはさんで、「6つの小品」作品118。牛田は、前半の2つの曲集よりも、より内省的な世界へと沈潜していく。そして、これらの小品が持つ歌曲のような美しい叙情性を際立たせた。また、第1曲〝間奏曲〟における時おりためらうような音楽の進行や、第2曲〝間奏曲〟における親密な音の対話は見事である。圧巻だったのは、第6曲〝間奏曲〟。独白のように語るユニゾンや複調における輻輳(ふくそう)した響きを、彼はきわめてデリケートに映し出していた。
そして「4つの小品」作品119。クララ・シューマンが「灰色の真珠」と呼んだ第1曲を、牛田は心の襞(ひだ)をやさしくなぞるように奏でる。その滴り落ちるような音の雫(しずく)は、この上ない美しさを湛(たた)える。第4曲〝ラプソディ〟では、この曲のもつさまざまな表情を丁寧に描き上げる。その終結において、ほの暗い情熱をみなぎらせ、強い悲劇性をもって曲を締めくくった。
アンコールは、ショパンの「舟歌」と「夜想曲」作品62-1。彼の晩年の創作である。
(道下京子)
公演データ
牛田智大 ピアノ・リサイタル
3月21日(土) 14:00東京芸術劇場 コンサートホール
ピアノ:牛田智大
プログラム
ブラームス
:7つの幻想曲Op.116
:3つの間奏曲Op.117
:6つの小品Op.118
:4つの小品Op.119
アンコール
ショパン
:舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
:ノクターン 第17番 ロ長調 Op.62-1
他日公演
3月22日(日)14:00京都府中丹文化会館
みちした・きょうこ
桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科卒業、埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了。共著「ドイツ音楽の一断面――プフィッツナーとジャズの時代」など。「音楽の友」「ショパン」などの 音楽月刊誌や書籍、新聞、Web媒体、演奏会プログラムやCDの曲目解説など、ピアノのジャンルを中心に音楽経験を活かした執筆を行なっている。










