リッカルド・ミナーシ指揮 東京都交響楽団 第1029回定期演奏会Cシリーズ ヴァイオリン:庄司紗矢香

声と魂の延長のようなヴァイオリンを聴かせた庄司、ミナーシの自由な創造精神が炸裂した「田園」

東京都交響楽団が、先日来の「ヴォツェック」(新国立劇場)を終えて初めて取り組んだ定期演奏会。指揮は、いま欧州を中心にピリオド&モダンの両世界で注目度急上昇中のリッカルド・ミナーシである。だがこの日、前半はなんといっても庄司紗矢香のヴァイオリンが圧倒的だった。

指揮台に立ったリッカルド・ミナーシ 写真提供:東京都交響楽団(c)堀田力丸
指揮台に立ったリッカルド・ミナーシ 写真提供:東京都交響楽団(c)堀田力丸

というのも、楽器がもはや操作するモノではなくなっていたから。1曲目、モーツァルトのアダージョK.261では、なにかの歌詞を「語る」歌手のようであり、楽器はいわば弾き手の声の延長となっていただろう。ポルタメントも辞さない、艶(つや)やかな声である。とすれば、続くシューマンの協奏曲では、魂の延長であったと言いたい。

ソリストを務めた庄司紗矢香 写真提供:東京都交響楽団(c)堀田力丸
ソリストを務めた庄司紗矢香 写真提供:東京都交響楽団(c)堀田力丸

暗い激情のほとばしる第1楽章。切っ先鋭いアクセントも、唸(うな)るこぶしも、緩急の変化も、やむにやまれずそうなったという風である。そして、そのような即興性が、リトルネッロ風の当楽章を、陥りがちな単調さから救っただろう。本作は「精神の衰えた晩期シューマンの失敗作」などでは決してないのだ。展開部の終わりで、二十億光年の彼方へ消え入るかのような弱音に触れると、「正常」の一線を越えそうになるのだけれど……。

第2楽章は、静かにむせび泣く「精霊の主題」もさることながら、オーケストラと交差するシンコペーションの、ゆらめく透かし模様が美しい。ポロネーズ風の終楽章では、シューマンが「4分音符=63」で示唆した遅さと重さを基調とし(こうでなくては!)、中ほどで前楽章のシンコペーションがチェロに回帰するのも、よく分かる。技巧が込み入ってゆく終盤も、いよいよ神懸かってきてアクションが大きくなるが、決してうやむやにならないのだった。

ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 Op.68「田園」 写真提供:東京都交響楽団(c)堀田力丸
ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 Op.68「田園」 写真提供:東京都交響楽団(c)堀田力丸

もちろん、こうした一切は、ミナーシの陳腐に陥らない指揮も与(あずか)ってのことだ。そんな彼の自由な創造精神が、後半、ベートーヴェンの田園(パストラーレ)交響曲で炸裂(さくれつ)した。編成は前半の12型から16型にチェンジ。全体にキビキビとした足どりながら、頻繁に減速・加速する。声部のここを立てれば、あそこを待たす。オーケストラ音楽が、いかに多層的な時間と空間を含んでいるか、痛いほどわからせてくれるのだ。

第4楽章「雷。嵐」こそやや力任せになったが、こんなにセンシティヴでエキサイティングな「田園」もない。終楽章の感動的なパストラーレ=羊飼いの音楽が終わると、ふとクリスマスを思った。
(舩木篤也)

公演データ

東京都交響楽団 第1029回定期演奏会Cシリーズ

11月29日(土)14:00東京芸術劇場コンサートホール

指揮:リッカルド・ミナーシ
ヴァイオリン:庄司紗矢香
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉

プログラム
モーツァルト:ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ ホ長調 K.261     
シューマン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 
ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 Op.68「田園」

ソリスト・アンコール
シューマン(庄司紗矢香編曲):夕べの歌

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舩木 篤也

ふなき・あつや

1967年生まれ。広島大学、東京大学大学院、ブレーメン大学に学ぶ。19世紀ドイツを中心テーマに、「読売新聞」で演奏評、NHK-FMで音楽番組の解説を担当するほか、雑誌等でも執筆。東京藝術大学ほかではドイツ語講師を務める。著書に『三月一一日のシューベルト 音楽批評の試み』(音楽之友社)、共訳書に『アドルノ 音楽・メディア論』(平凡社)など。

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