数え90歳、たゆまない「攻め」の姿勢で圧倒
舘野泉は1936年11月10日生まれ。数え90歳を迎える人生のうち、80年以上をピアノに捧げてきた。「左手のピアニスト」になってからも、すでに20年余りが経つ。今年は1960年のプロデビューから65周年の節目でもある。卒寿(90歳)の老大家であれば、耳に馴染(なじ)んだ無難な作品でまとめたリサイタルでも喝采を浴びるのが確実なところ、舘野は2004年から2023年にかけて自身が委嘱した新作4曲の再演で臨む。一貫した「攻め」の姿勢を通じ、懐古モードを拒む気概で圧倒したのが素晴らしい。
万雷の拍手の中、車椅子に乗った舘野が現れた。自力でピアノに向かい、アイスランドの作曲家マグヌッソン(1973―)の「アイスランドの風景」第1楽章アンダンテ〝東の方の小さな川の滝〟を弾き始めた途端、清らかに澄み切った響きがホール全体に広がり、「かの国」の荒涼とした風景が目に浮かぶ。強打の瞬間も現れるが、全体としては、「風が吹くなか、孤独を満喫しながら歩む静かな悦(よろこ)び」といった風情の作品だった。
舘野の長年のコラボレーターだったノルドグレン(1944―2008)は日本滞在中に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が著した「怪談」に強い印象を受け、創作の源泉に生かした。「左手」転向を受けた「バラードⅡ」は2004年の作品。舘野は深い共感とともに再現、極めて控えめな日本音階の引用もはっきりと際立たせる。それぞれの怪談を表情豊かに語りかける〝情報量〟の豊かさは、とても左手だけの演奏とは思えない。
同じくフィンランド人ティエンスー(1948―)作品の原題「EGEIRO(エゲイロー)」は〝復活〟あるいは〝大いなるもの〟を意味する古代ギリシャ語だが、舘野によれば、作曲者は「人それぞれに聴いてくれれば、それでいい」と語ったという。いきなり左腕のパンチで始まり、どこか隕石を思わせる音の流れを、舘野は慈しむように再現した。
最後に置かれた日本在住のアルゼンチン人作曲家エスカンデ(1971―)の「奔放なカプリッチョ」(2023)は最も新しい作品。舘野は「ヤナーチェクがピアノと管楽器のために書いた〝カプリッチョ〟と同じ編成で書いてほしい」と条件をつけて委嘱。エスカンデは短い導入と4つのカプリッチョ(奇想曲)、それぞれの間にピアノのカデンツァを置き、シンメトリー(左右対称)を意識した構成とした。平石章人が指揮する7人の管楽器奏者はいずれもオーケストラの首席クラス。マーラー風の仄暗い旋律からユーモアに富む瞬間まで、鮮やかな技で魅了する。とりわけフルートの甲斐雅之、ユーフォニアムの齋藤充の長大なブレスに感心した。舘野は優れた共演者に身を委ね、カデンツァでは千変万化する音色美を惜しげなく全開にした。打鍵の後の余韻の最後1秒まで、プロフェッショナルとして、精妙にコントロールする責任感の強さも「さすが」だった。
カーテンコールは管楽合奏の「ハッピー・バースデー」に包まれ、アンコールに山田耕筰。「からたちの花」の後も鳴りやまない拍手を見て、舘野は「もう1曲」と示すように人差し指を上げ、「赤とんぼ」を弾いた。柔らかな輝きに満ちたリサイタルだった。
(池田卓夫)
公演データ
舘野泉ピアノ・リサイタル 演奏生活65周年 卒寿記念公演
11月2日(日)14:00サントリーホール 大ホール
ピアノ:舘野 泉
指揮:平石 章人
フルート:甲斐 雅之
トランペット:辻󠄀本 憲一、伊藤 駿
トロンボーン:新田 幹男、ザッカリー・ガイルス
バストロンボーン:野々下 興一
ユーフォニアム:齋藤 充
プログラム
マグヌッソン:組曲「アイスランドの風景」 (2013)
第1楽章 アンダンテ「東の方の小さな川の滝」
第2楽章 モデラート「鳥の目から見た景色」
第3楽章 アレグレット「オーロラの輝き」
第4楽章 アダージョ「いつまでも明るい夏の夜」
第5楽章 アダージョ「大河ラーガルフリョゥトのほとりを歩く」
ノルドグレン:小泉八雲の「怪談」によせるバラードⅡOp.127 (2004)
「振袖火事」
「衝立の女」
「忠五郎の話」
ティエンスー:EGEIRO「復活」(2013)
エスカンデ:奔放なカプリッチョ~ピアノと管楽器のための (2023)
アンサンブル・アンコール
Happy Birthday to You
アンコール
山田耕筰/熊本陵平編:からたちの花
山田耕筰/梶谷修編:赤とんぼ
いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。










