風格を湛えたベテランの至芸で聴くベートーヴェン最後の3つのソナタ
世界的ピアニスト・内田光子のリサイタル。大ベテランの域に入ったその芸を堪能させるプログラムが、ベートーヴェンの最後の3つのソナタ─第30、31、32番─と来れば、いやが応にもスペシャル感が漂う。
このクラスのピアニストの東京公演の主会場=サントリーホールと東京オペラシティで感じるのが、1階席と2階席における印象の違いだ。それは、以前あるピアニストのリサイタルで、1階席=「叩き過ぎでうるさい」、2階席=「ソフト過ぎて迫力がない」という(共に評論家の)両極端の意見を聞いたことがあるほど。2階C3列で聴いた今回は「引き締まった響きによる必要十分の迫力を持った演奏」に思えたが、1階席で聴いた人からはまるで違った感想を聞いたので、ピアノ公演の判断は難しい。
ただし、そうした音響面を超越して感じられたのは、容易に真似のできない〝風格〟だ。特にこの3曲において、奏者の年輪を反映した〝風格のある音楽〟は極めて重要な要素だろう。
第30番の第1楽章から音楽が自然で1音1音が意味深い。快速調の第2楽章も余分な力が入らずして明確、第3楽章の悠然たる運びはまさに〝風格〟そのものだ。曲想の似た第31番も同様で、ここは両曲の同質性を改めて実感させられた。
第32番も然り。第1楽章の緊迫感は対照的な第2楽章にも継続され、時に異質性を覚える第3変奏(内田いわく「ジャズまたはブギウギ」風の部分)も、大きくトーンを変えずに締まった表現がなされる。
内田は2005年録音(もう20年も前だ)のCDライナーの中で、「これら3つのソナタはひとつの統一体として考えられるべきではないのかもしれない」と述べているが、今回はまさしく〝統一体〟であることが表現されたと言っていい。
全体─特に各曲の終楽章─に遅めのテンポでじっくりと奏された今回は、概ね60分強で終わる3曲に、休憩を含めて2時間が費やされた。語彙と感情が豊富な音楽を聴き続けたその充実感は比類なきもの。しつこいようだが、ワールドワイドの風格を湛えたベテランの至芸だった。
(柴田克彦)
公演データ
内田光子 ピアノ・リサイタル 2025
10月28日(火) 19:00サントリーホール 大ホール
ピアノ:内田光子
プログラム
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
これからの他日公演
10月30日(木)19:00サントリーホール 大ホール
しばた・かつひこ
音楽マネジメント勤務を経て、フリーの音楽ライター、評論家、編集者となる。「ぶらあぼ」「ぴあクラシック」「音楽の友」「モーストリー・クラシック」等の雑誌、「毎日新聞クラシックナビ」等のWeb媒体、公演プログラム、CDブックレットへの寄稿、プログラムや冊子の編集、講演や講座など、クラシック音楽をフィールドに幅広く活動。アーティストへのインタビューも多数行っている。著書に「山本直純と小澤征爾」(朝日新書)。










