〜剛腕ヴィルトゥオーゾが抑制を効かせて繊細、詩的に〜
ブロンフマンは1958年に旧ソ連ウズベキスタンのタシケントに生まれ、15歳でイスラエルへ移住、現在は米国を本拠とするピアニスト。ドイツとロシアの音楽がレパートリーの2本柱だが、日本では内外のオーケストラとの協奏曲演奏で名声を博してきた。久々の東京リサイタルは前半にドイツ・ロマン派、最後に十八番のプロコフィエフ「戦争ソナタ」(第7番)を配し、後半の最初にはドビュッシーを挿入した。

安定かつ堂々とした体躯の大型ヴィルトゥオーゾ(名手)のイメージを長く抱いてきたので、「アラベスク」がフーッと息を吐くように自然に始まり、ささやきに近い音量で独り、シューマンとの対話にふける趣には驚いた。青年作曲家の気負いや激しい情熱がいささか雑然と並んでいるはずのブラームス(ソナタ第3番)も基調は変わらず、抑制を効かせながら端正に形を整えていく。20歳の〝青い瑞々しさ〟を丁寧に引き出し、第2楽章の恋の感触をキラキラした音色で切々と歌う。第3楽章のスケルツォでも爆発を避けるに至り、ブロンフマンの視線が自身も含めた過去への追憶に向かっていることに気づく。「運命の動機」を伴う第4楽章も超絶の最弱音を際立たせ、フィナーレの作為ない盛り上がりへとつなげた。すべての音が磨き抜かれ「動」より「静」に徹した再現はかなりユニークだが、ブロンフマンの繊細な人柄を投影した解釈だろうと納得した。

ドビュッシーでは、この繊細で耽美(たんび)的、細密画のように音色を極めたアプローチが完全な勝利を収めた。「葉陰をもれる鐘の音」は音そのものが雄弁に語りかけ、「しかも月は廃寺に落ちる」ではオリエンタルな響きが一定の距離感を伴って克明に伝わり、「金色の魚」の自在な動きも申し分なかった。
ブロンフマンはそれまで抑えてきたヴィルトゥオーゾの巨大な音量と表現のスケールをプロコフィエフで一気に解放した。ホールを満たす第1楽章の強打は、現時点の世界情勢の「相」まで映し出す生々しさ。第2楽章ではプロコフィエフのもう1つの側面である抒情美をすくい上げ、第3楽章の究極の爆発につないだ。ドビュッシーで熱量を増し始めた客席の反応は最高潮に達し、歓声からスタンディングへと進んだ。アンコール最後の1打まで音色とタッチは見事にコントロールされ、究極の名人芸が完結した。
(池田卓夫)

公演データ
イェフィム・ブロンフマン ピアノ・リサイタル
9月16日(火)19:00東京オペラシティ コンサートホール
プログラム
シューマン:アラベスク ハ長調 Op.18
ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番 ヘ短調 Op.5
ドビュッシー:「映像」第2集
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 Op.83「戦争ソナタ」
アンコール
チャイコフスキー:「四季」より〝10月〟
ラフマニノフ:10の前奏曲作品23より第5番
リスト:パガニーニ大練習曲より第2曲「オクターブ」変ホ長調

いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。