ドイツリートへの挑戦!全22曲を歌い上げる壮大な旅で井出壮志朗が新境地を切り拓く
ドイツ歌曲のロマンティシズムに没入する、濃密な時間だった。
第47回イタリア声楽コンコルソ・シエナ大賞受賞、第17回東京音楽コンクールで1位なしの第3位に入賞するなど、多数の受賞歴をもつ新進気鋭のバリトン、井出壮志朗が静岡音楽館AOIで自身初となるオール・ドイツリート(歌曲)プログラムを披露した。
現在、藤原歌劇団団員として数多くのオペラで主要なキャストを務める井出は、プログラムを組むにあたり、ドイツリートの中でも比較的オペラに近い劇性のある作品を選んだという。

風刺とユーモアを取り込んだヴォルフの歌曲は皮肉たっぷり。〝騎士クルトの嫁探しの旅〟は、勇ましく歌い始めるものの、次第にクルトのダメ騎士ぶりが明らかになる。立て続けに都合の悪い事象が起こり、バタバタと転落していく様子を、テンポが加速する歌とピアノで絶妙に描いた。前半最後の曲、「メーリケの詩による歌曲集」より〝ヴァイラの歌〟は、井出の黄金に輝く声で、女王の誇りを朗々と歌い上げた。
後半はブラームスの連作歌曲集「美しきマゲローネのロマンス」の全曲演奏。1時間に及ぶ長い旅路だったが、プロヴァンスの騎士ペーターとナポリの王女マゲローネの恋の陶酔、奈落の底に突き落とされるような絶望といった感情の乱高下を行き来するうち、あっという間に終曲へとたどり着いてしまった。

第3曲「これは苦しみか、これは喜びか」で、井出は〝Ach〟という溜(ため)息まじりに恋する苦悩を訴えたかと思えば、突然〝彼女の眼差しの光の中にのみ生も希望も幸運も宿っているのだ!〟と快活に歌い出す。不安定に揺れ動く若者の感情の機微が微笑ましい。
第9曲「安らいなさい、愛しのかわいい人」で、この上なく甘美な幻想の世界に酔いしれたのも束の間、第10曲「絶望」では、谷本喜基による激しいピアノで泡立つ波が、幸せな時間を唐突にさらっていく。井出は〝Ich bin ein verlorener Mann.〟(私は孤立無縁の男だ)の詩に、すべての希望が打ち砕かれたペーターの絶望を込めた。

いよいよ終曲「誠実なる愛は永く褪せず」は、静かなピアノで始まった。苦難を乗り越え、純愛を貫いたペーターとマゲローネの心に芽生えた〝愛の勇気〟は、曲が進むにつれて増幅し、声も明るく力強くなっていく。心の内に沸き起こった喜びはついに外へ飛び出し、世界を幸福の光で満たした。静かな感動に包まれた後、完全に声が消え入ると、会場から盛大な拍手が贈られた。
(野崎 裕美)
公演データ
井出壮志朗 バリトン・リサイタル
9月6日(土)15:00静岡音楽館AOI
バリトン:井出壮志朗
ピアノ:谷本喜基
プログラム
マーラー:歌曲集「子どもの不思議な角笛」より
〝番兵の夜の歌〟〝ラインの伝説〟〝不幸なときの慰め〟
ヴォルフ:「ゲーテの詩による歌曲集」より
〝ねずみを捕る男〟〝騎士クルトの嫁探しの旅〟
ヴォルフ:「メーリケの詩による歌曲集」より
〝めぐりあい〟〝ヴァイラの歌〟
ブラームス:美しきマゲローネのロマンスOp.33 全15曲

のざき・ひろみ
クラシック音楽専門誌「音楽の友」ほか音楽誌の編集者を経て、現在はフリーランスのライター・編集者として活動。毎日クラシックナビでは速リポ等を担当し、クラシック音楽のコンサートに通う人が増えるような情報発信に日々情熱を燃やす。