特別の大歌手の全盛期にしか味わえない無双の歌唱

最初に歌ったチャイコフスキー「オルレアンの少女」のアリアを聴いて、2022年6月のリサイタルにくらべ、声が厚みを増したと感じた。ただし、制御され尽くした弱音の美しさはそのままなので、表現の幅は確かにに広がっている。夫君のカレル・マーク・チチョンが新日本フィルをシャープに操舵し、そのデュナーミクの大きな劇性と相まって、ジャンヌ・ダルクの悲愴なまでの決意が、声の色彩としてフレーズに深く刻み込まれる。
それは特別な大歌手の全盛期にしか味わえない、無双ともいえる演奏だった。
どの曲もまったく力みがない。むろん、横隔膜の支えが万全であるがゆえだが、声は少しの無理もなく自然に湧き出て、息とともに空間を満たす。無理がないから制御が行き届き、高貴なフレージングが可能になる。また、無限のニュアンスを加える余裕も生じる。サン=サーンス「サムソンとデリラ」の著名なアリアには、情緒の先に男を惑わす官能性が浮き上がり、グノー「サバの女王」のアリアでは、フレーズに切ない恋心がにじむ。

後半はビゼー「カルメン」のハイライト。ガランチャは前半のブルーのドレスを、カルメンらしい黒と赤のものに着替えた。たとえば「ハバネラ」の歌唱は、男を誘う女性の肢体そのもののように艶めかしく柔軟で、そこにドレス同様、赤と黒のニュアンスが加わる。顔の表情も歌の表情と一体で、強烈なカルメン像が聴覚だけでなく視覚をも刺激する。それでいて、やはり力みはどこにもない。
なんと自在なことか。自在はまた自由につながり、カルメンの自由をも表現する。それは滅多に聴けない「ハバネラ」の初稿版でも同様だった。
また、第3幕のいわゆる「カルタの歌」では、悲劇的なニュアンスがそれを煽(あお)るオーケストラと呼応して深まり、第2幕の「ボヘミアの歌」はすぐれたリズム感のもと、軽やかなのに濃厚だ。歌のフォルムは気品のかたまりのようなのに、そこからカルメンのあらゆるニュアンスが浮き上がる。選ばれた名歌手の至芸でしか味わえない究極のカルメンだった。
アンコールはチャピのサルスエラに、「グラナダ」「マレキアーレ」。こちらは鮮やかなスペイン語とイタリア語のナポリ方言に支えられたラテンの世界で、ポピュラーな曲を存分に輝かせた。このように、どんな曲もその曲らしく映えるのも名歌手の技である。
6月25日にも同じプログラムで公演があるので、筆者はまた出かける。至福の記憶をさらに深く刻みたいので。
(香原斗志)

公演データ
エリーナ・ガランチャ メゾソプラノ リサイタル2025
6月21日(土)14:00 サントリーホール 大ホール
メゾソプラノ:エリーナ・ガランチャ
指揮:カレル・マーク・チチョン
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:西江 辰郎
プログラム
サン=サーンス:歌劇「サムソンとデリラ」より〝あなたの声で心は開く〟
グノー:歌劇「サバの女王」より〝身分がなくても偉大な方〟
チャイコフスキー:歌劇「オルレアンの少女」より〝さようなら、故郷の丘〟
ビゼー:歌劇「カルメン」より〝ハバネラ〟ほか
※他日公演
6月25日(水)19:00 サントリーホール 大ホール

かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。