保守性と柔軟性を併せ持つバンベルク響の、驚きと感動に満ちた好演
南ドイツの名門、バンベルク交響楽団。評者は故ホルスト・シュタイン時代から知っているが、最後に聴いたのは2016年だから9年ぶり。ヤクブ・フルシャの指揮で聴くのは初めてである。

イギリスの作曲家、サミュエル・コールリッジ=テイラーの「バラード」(1898年初演)は、弦楽がキャッチーな旋律をユニゾンで弾くこともある、どこかポップな曲。そうした場面で、「交響楽団」然としてアカデミックにならず、さりとてべったりと通俗的にもならず、弾力のある、機動性に富んだフレージングで決める。打楽器の瞬発力あるストロークも、かっこいい。ああバンベルク響もドイツ臭を脱ぎ捨て、柔軟になったなと感慨深い。
ところが、である。メイン演目、ブラームスの交響曲第1番が鳴り始めるや、もう一度驚くことに。低いハ音の連打。上昇する弦楽器の線。下降する管楽器の線。それらはたしかに聞こえるのだが、絡むというより、まろやかに融け合っている。響きは輪郭を持つというより、ほんのりと温かな光を放つ。まさに懐かしのバンベルク・サウンドである。さっきの楽団と、本当に同じ?
フルシャの指揮がまた、意外にもと言うべきか、因習にかなり忠実なのだ。とりわけテンポの伸縮において。副主題への移行で揺らしたり、クライマックスへと続く道で緩めたり。こうなると、懐かしいを通り越して、ちょっと退屈にもなってくる。「保守的」の文字が脳裏に浮かぶ……。
だが、第2楽章のどこまでも柔らかくふくよかな弦楽を聴いて、もう降参した。リズムさえ「響き」にもっぱら奉仕するような、このあり方は、文化としか言いようがない。文化遺産である。第4楽章の天空をすうーっと漂いゆくようなホルン、フルート、トロンボーンにもしびれた。

なお、前半2曲目には、角野隼斗をソリストに迎えたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番があった。機械をこんなふうにも、あんなふうにも動かせるのが楽しくてしょうがないといった感じの角野のピアノには、独特のオーラがある。オーケストラと音楽を「共作する」という気持ちで、もう少し丁寧に弾けば、聴くほうもさらに楽しめるだろう。
(舩木篤也)
公演データ
ヤクブ・フルシャ指揮 バンベルク交響楽団 東京公演
5月28日(水) 19:00サントリーホール 大ホール
指揮:ヤクブ・フルシャ
ピアノ:角野隼斗
管弦楽:バンベルク交響楽団
プログラム
コールリッジ=テイラー:バラード Op.33
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調 Op.18
ブラームス:交響曲第1番ハ短調 Op.68
ソリスト・アンコール
デューク・エリントン(角野隼斗編):キャラバン
カプースチン:8つの演奏会用エチュード トッカティーナOp.40-3
オーケストラ・アンコール
ブラームス:ハンガリー舞曲
第17番 嬰へ短調
第18番 ニ長調
第21番 ホ短調-ホ長調

ふなき・あつや
1967年生まれ。広島大学、東京大学大学院、ブレーメン大学に学ぶ。19世紀ドイツを中心テーマに、「読売新聞」で演奏評、NHK-FMで音楽番組の解説を担当するほか、雑誌等でも執筆。東京藝術大学ほかではドイツ語講師を務める。著書に『三月一一日のシューベルト 音楽批評の試み』(音楽之友社)、共訳書に『アドルノ 音楽・メディア論』(平凡社)など。