新国立劇場2024/2025シーズンオペラ ジョアキーノ・ロッシーニ「セビリアの理髪師」

ロッシーニのツボを押さえた指揮

さらに数段磨かれた脇園彩の歌唱

序曲からテンポは速めで、速すぎるかな、と思いもしたが、終始軽やかでやわらかく、軽いまま弾ける。指揮のコッラード・ロヴァーリスは、ロッシーニの音楽に必要な要素を心得ているようで、そうなると安心して聴ける。

ヨーゼフ・E.ケップリンガー演出、ジョアキーノ・ロッシーニ「セビリアの理髪師」 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
ヨーゼフ・E.ケップリンガー演出、ジョアキーノ・ロッシーニ「セビリアの理髪師」 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

アルマヴィーヴァ伯爵のローレンス・ブラウンリーはやわらかい声だが芯にバネがあり、フレーズが高密度で満たされる。新国立劇場でこの役を歌うのは2006年以来で、声は一定の成熟を遂げたが、やわらかさが失われていない。バネの弾力があるから、小さな音符の連なりを敏捷に歌うアジリタも、切れ味豊かで鮮やかなのだろう。

フィガロのロベルト・デ・カンディアは、十八番のこの役をこの劇場で歌うのは、なんと23年ぶりだが、巧みな歌いまわしは健在だ。本調子ではないのか、フレーズが途切れてレガートにならないのが気になったが、伯爵との二重唱のあたりから、次第に声が伸びるようになった。

左からローレンス・ブラウンリー(アルマヴィーヴァ伯爵)、ロベルト・デ・カンディア(フィガロ) 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
左からローレンス・ブラウンリー(アルマヴィーヴァ伯爵)、ロベルト・デ・カンディア(フィガロ) 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

ジュリオ・マストロトータロも巧みなバルトロだった。しゃべるときの抑揚やテンポを活かしつつ、滑稽な味つけを微妙に加えながら表現するという、じつはとても難しい役。持ち前の力強い声を巧妙に制御した精緻なセリフ回しで、バルトロの世界を創り出していた。

こうして周囲が固められると、脇園彩のロジーナは活きる。まったく無理なく発声されているのに、以前より声が客席に自然に届き、しかも磨かれてつやが増している。どの音域でも声質が一定し、無理なくつながれていく。結果として、レガートもアジリタも自然な呼吸の延長のようで、こうして構築された音楽の堅固な骨格に感情が加えられていく。

脇園が前回、新国立劇場でこの役を歌ったのは、コロナ禍直前の2020年2月だった。以後、マリエッラ・デヴィーアの指導のもと、苦手意識があったレガートを磨き上げ、レガートもアジリタも同じテクニックのもと、自在に表現できるようになっていった。同じロッシーニでもオペラ・セリア(正歌劇)のヒロインも経験し、ロジーナのスケールも明らかに大きくなった。

2020年に新国立劇場で歌った時より、明らかにスケールが大きくなったロジーナを聴かせた脇園彩 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
2020年に新国立劇場で歌った時より、明らかにスケールが大きくなったロジーナを聴かせた脇園彩 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

これら「ロッシーニの声」がロヴァーリスの指揮のもと、よくまとまった。たとえば第1幕フィナーレ。酔った兵士に扮した伯爵がバルトロ邸に入り込んで大騒ぎになる状況で、音楽は雑然を表しながら整理されている。音楽は弾けるように快活さを増し、雑然とした状況を描写するが、見事な整理がなければ、聴き手が雑然とした状況を認識しながら音楽的な快感を得ることはできない。これがロッシーニの世界で、ロヴァーリスはよくわかっている。

「音楽的快感」と書いたが、まさにロッシーニがそれを意図して書き込んだ伯爵の大アリアも、ブラウンリーは鮮やかな切れ味を加え、余裕をもって歌い切った。2006年には、おそらく演出の都合でこの一番の見せ場を歌わせてもらえず、筆者は憤慨したのを思い出す。ロッシーニのオペラはこの快感があってこそ、である。

(香原斗志)

左から妻屋秀和(ドン・バジリオ)、カンディア(フィガロ)、ブラウンリー(アルマヴィーヴァ伯爵)、脇園(ロジーナ) 、加納悦子(ベルタ)、ジュリオ・マストロトータロ(バルトロ) 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
左から妻屋秀和(ドン・バジリオ)、カンディア(フィガロ)、ブラウンリー(アルマヴィーヴァ伯爵)、脇園(ロジーナ) 、加納悦子(ベルタ)、ジュリオ・マストロトータロ(バルトロ) 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

公演データ

新国立劇場2024/2025シーズンオペラ
ジョアキーノ・ロッシーニ「セビリアの理髪師」

5月25日(日)14:00新国立劇場 オペラパレス

指 揮:コッラード・ロヴァーリス
演 出:ヨーゼフ・E.ケップリンガー
美術・衣裳:ハイドルン・シュメルツァー
照 明:八木麻紀
再演演出:上原真希
舞台監督:CIBITA 斉藤美穂

アルマヴィーヴァ伯爵:ローレンス・ブラウンリー
ロジーナ:脇園 彩
バルトロ:ジュリオ・マストロトータロ
フィガロ:ロベルト・デ・カンディア
ドン・バジリオ:妻屋秀和
ベルタ:加納悦子
フィオレッロ:高橋正尚
隊長:秋本 健
アンブロージオ:古川和彦
合 唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:水戸博之
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

※他日公演
5月28日(水)14:00、30日(金)18:30、6月1日(日)14:00、3日(火)14:00新国立劇場 オペラパレス

プログラム
ジョアキーノ・ロッシーニ「セビリアの理髪師」
全2幕(イタリア語上演/日本語及び英語字幕付)

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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