カペルマイスター熊倉優&九州交響楽団そろっての「トスカ」デビューin福岡
九州交響楽団(九響)第430回定期演奏会はドイツのニーダーザクセン州立ハノーファー歌劇場第2カペルマイスター(楽長)の熊倉優(1992年生まれ)を指揮台に迎え、プッチーニの歌劇「トスカ」全曲を演奏会形式で上演した。熊倉は2021年にドイツへ本拠を移し、ハンブルク州立歌劇場音楽総監督ケント・ナガノのアシスタントを務めた後、2023年にハノーファーのポストを得て現在までに70公演以上を指揮してきた。2025/26年シーズンの担当演目には「トスカ」(12月と1月の4回)もあるが、観客の前で全曲を指揮するのは今回の九響定期が初めて。九響にとっても全曲演奏は「恐らく初めて」(主催では完全に初、外部からの委託も記録がないという)という新鮮さだ。

ポイントは3つ。1)日本ではパーヴォ・ヤルヴィのアシスタントを務め、2018年のフェスタサマーミューザKAWASAKIにNHK交響楽団を指揮してショスタコーヴィチの「交響曲第10番」で鮮烈なデビューを飾るなど、コンサート指揮者のイメージの強かった熊倉の「オペラのカペルマイスター」としての進境を実感する、2)普段オペラを弾く機会が限られる九響の劇音楽への適性を探る、3)最初メゾソプラノで頭角を現し、2021年頃からレパートリーをソプラノ領域に拡張した高野百合絵がどこまで題名役(フローリア・トスカ)を歌いこなせるか。周囲は国内一線の名歌手で固めている。
熊倉の指揮はイタリア流儀かどうかといった次元を超え、切り込むところは激しく切り込み、歌わせるところはたっぷりと歌わせながら自然にドラマを盛り上げる劇場感覚に溢れていた。客演コンサートマスターにハンブルク・フィル(ハンブルク州立歌劇場のオーケストラ)で弾いていた塩貝みつるを得たメリットも大きく、弦全体が時に甘く、時に仄暗く、歌を豊かな陰影で彩る。九響も最後までパワーを保ち、プッチーニのスコアの妙を細かなところまで再現するのに成功していた。九響本来の落ちつきがあって、重心の低い響きのアイデンティティーが優れたカペルマイスターを得た時、オペラでも雄弁な表現力を発揮できることを見事に立証した。

高野は持ち前の舞台映えする容姿、細やかな演技力で独自のトスカ像を造形した結果、客席の喝采を浴びた。ただスピント(劇的緊張力)の効いた声ではないし、アクート(最高音)を強靭に張れるだけの基盤も備えていないため、どうしても絶叫調になる。一つの言葉を強く言い放つ瞬間は明瞭なのだが、長いフレーズをしっかりとした声の支えで歌い切るだけの鍛錬に不足、響きだけで乗り切る傾向があり、言葉の明瞭度が後退する。
類まれな舞台人オーラと演技力に恵まれているのは確かなので先を急がず、もう少しゆっくりと声の重さを整え、慎重にレパートリーを検討してほしい。同じことはカヴァラドッシの宮里直樹にも当てはまる。目下、最も輝かしいリリック・テノールで音色も声量もイタリア語さばきも傑出しているのだから、仕事は慎重に選ぶべき。過去1か月間に「仮面舞踏会」(ヴェルディ)のリッカルド(2日連続)、「ナクソス島のアリアドネ」(R.シュトラウス)のテノール&バッカス、今夜のカヴァラドッシと重い役をたて続けに歌った結果、声がかなり疲れていて、2つのアリアで本来の実力の7割程度しか発揮できなかったのは残念だった。スカルピアの今井俊輔は絶好調、素晴らしい悪の華を咲かせた。
(池田卓夫)

公演データ
九州交響楽団 第430回定期演奏会 九響オペラ「トスカ」
5月22日(木) 18:30アクロス福岡シンフォニーホール
指揮:熊倉 優
トスカ:高野 百合絵
カヴァラドッシ:宮里 直樹
スカルピア:今井 俊輔
アンジェロッティ:伊藤 貴之
堂守:晴 雅彦
スポレッタ:伊藤 達人
シャルローネ&看守:久保田 真澄
羊飼いの少年:福崎 美桜
合唱:九響合唱団
児童合唱:筑紫女学園中学校音楽部
管弦楽:九州交響楽団
客演コンサートマスター:塩貝みつる
プログラム
プッチーニ:歌劇「トスカ」(演奏会形式)

いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。