極限の造形から浮かび上がる慈しみの心〜東京・春・音楽祭「ミサ・ソレムニス」
マレク・ヤノフスキ(1939年生まれ)指揮の「ミサ・ソレムニス」ではベルリン放送交響楽団との2016年9月のライヴ盤が素晴らしい出来栄えだったので今回、東京・春・音楽祭2025のNHK交響楽団との共演にも大きな期待をもって出かけた。結論から書くと、厳しく引き締まった造形はそのまま、80代のさらなる円熟によって、慈しみの心がじわじわとにじみ出てくる名演だった。

ゲスト・コンサートマスターの川崎洋介がリードするNHK交響楽団は深みのある音色ながら鈍重さはなく、響きの解像度も高い。最初はフルートの甲斐雅之、オーボエの中村周平、クラリネットの松本健司、ファゴットの宇賀神広宣ら木管首席奏者たちのソロの妙技に耳を奪われたが、第5曲「アニュス デイ」の大詰めではトランペットの長谷川智之、ティンパニの久保昌一の水際立った一撃が圧巻だった。第4曲後半の「ベネディクトゥス」にはコンサートマスターの長いソロがあり、川崎は往年の慣習通りに起立して弾いた。出だしのフルートとの掛け合いからして美しく、ヴィルトゥオーゾ(名手)風の突出を注意深く避けながら、ヤノフスキの世界に寄り添う味わい深さで魅了した。

4人の独唱者中3人は同じ音楽祭、指揮者、オーケストラとワーグナー「パルジファル」の演奏会形式上演で共演した主役&準主役。テノールのスケルトンは圧倒的声量ながら宗教曲の則(のり)をぎりぎりのところで外さず、メゾ・ソプラノのバウムガルトナーはクンドリ役よりも適した音域だったのか、深みある音色でテキストを明瞭に伝えた。グアテマラ出身のソプラノ、ゴンサレスも十分な音圧でバウムガルトナーと拮抗(きっこう)した。バスのナズミはグルネマンツを歌った時と同じく、温かな情感で魅了する。4人ともオペラの声量を保ちつつも互いを良く聴き合って和声のバランスを整え、様式感を保った。

エベルハルト・フリードリヒと西口彰浩が合唱指揮を担った東京オペラシンガーズは、いつも通りの音圧と明快な発音で存在感を示した。とりわけ第3曲「クレド」の長大なフーガでヤノフスキがアクセルを踏み込み、猛烈な速さで疾走した場面でも一糸乱れず必死に食らいつき、壮大なクライマックスを築くのに貢献したのは見事だった。
「ベネディクトゥス」から「アニュス デイ」にかけて、ヤノフスキの指揮は緩急の振幅を増し、N響(特に低弦)から形而上を思わせる響きが立ち上る。最後は「願わくは心より出でて、心へと還らんことを」と記したベートーヴェンの精神が息を吹き返し、目下の世界に強いメッセージを放っているかのような感触を覚えた。
(池田卓夫)

※取材は4月4日(金)の公演
公演データ
東京・春・音楽祭2025
東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.12 ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」
4月4日(金)19:00、6日(日)15:00東京文化会館 大ホール
指揮:マレク・ヤノフスキ
ソプラノ:アドリアナ・ゴンサレス
メゾ・ソプラノ:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
テノール:ステュアート・スケルトン
バス:タレク・ナズミ
管弦楽:NHK交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:川崎洋介
プログラム
ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)ニ長調Op.123

いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。