楽器に宿る魂と記憶への問いかけ
「借りた風景」は2022年にドイッチュランドフンクがドイツ語版をラジオ初演、英語版が2023年にニューヨークのイサム・ノグチ美術館、2024年にワシントンDCのスミソニアン国立アジア美術館で舞台上演され、日本語版は今回の広島が初演。脚本はフロリアン・ゴルトベルク&ハイケ・タウフ夫妻の共同名義だが、ハイケ夫人は2024年に亡くなり、ゴルトベルクが単身来日した。ナレーションとオラトリオを合わせた造語「ナラトリオ」は、音楽朗読劇と訳された。

戦火をかいくぐって現存する3つの楽器――ハンガリーの名ヴァイオリニストで作曲家のイェネ・フバイの1726年製ストラディヴァリウス、イスラエル・フィル元団員エリ・マゲンが父の故郷ポーランドから買い付けた壊れたコントラバス、広島の原爆で被爆死したロサンゼルス生まれの日本人、河本明子が愛用した米ボールドウィン社の1926年製アップライトピアノ(「明子さんのピアノ」)。それぞれを弾く「今を生きる3人の架空の音楽家」の語りを中心に、物語は進行する。「借りた風景」は京都の圓通寺を訪れた際、庭園の借景から受けた印象に基づく。

日本初演では先ず、「明子さんのピアノ」を通じた平和教育活動を展開する一般社団法人「HOPEプロジェクト」の二口とみゑ代表が広島での日本初演に至るまでの経緯、かつて明子さんが通った広島女学院を会場に選んだ理由などを説明。「今日の体験をぜひ、記憶にとどめてほしい」と語った。この「記憶」こそ、作品全体を貫くテーマだった。楽器と演奏者が一体化して音楽を奏でる時間の連続を通じ「楽器に魂が宿る=楽器が記憶を持つ」ことはあるのだろうか? その記憶は残るのか忘れられるのか? 音楽が持つ思索の長さに対し、なぜ人間は簡単に愚かな戦争へと走るのか?……と、語り手たちの言葉は次第に核心へと迫る。

藤倉大が作曲した音楽は極めて控えめだが、演奏は素晴らしい。コントラバスの静かな響き、ヴァイオリンの妖しく雄弁なうねり、ピアノの美しく深い音が重なり合い、ドラマの緊張を支える。とりわけ小菅がスタインウェイのグランドピアノから「明子さんのピアノ」に移り、藤倉の「ピアノ協奏曲第4番〝アキコのピアノ〟」のカデンツァを弾き始めた瞬間、鳥肌が立つような感触を覚えた。

お涙頂戴のかけらもなく、観客の1人1人に真摯な問いかけを発し、明日の世界に対する責任を共有する――そんな価値観が根底に流れるナラトリオの姿勢は素直に共感できるものだ。朗読者全員の日本語が鮮明、すべての言葉をキャッチできたのも客席の集中度を高めるのに役立った。今年は第二次世界大戦終結、広島と長崎への原爆投下から80年の節目。私は40年前の広島で新聞記者をしていて、レナード・バーンスタイン指揮の被爆40周年「広島平和コンサート」も取材した。あれから40年。世界は一段と混迷し、核兵器廃絶への道も険しい。このような状況下、「借りた風景」の日本初演を広島の民間主導で実現できた意義はとても大きい。
(池田卓夫)
公演データ
音楽朗読劇「借りた風景」(日本語上演)~明子さんの被爆ピアノ、その記憶とともに~
2月16日(日)15:00広島市・広島女学院中学高等学校ゲーンスホール
脚本:タウフゴルト(日本語台本:中村真人)
音楽:藤倉大
ヴァイオリン:北田千尋(広島交響楽団コンサートマスター)
コントラバス:エディクソン・ルイス(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)
ピアノ:小菅優
朗読:大山大輔、多和田さち子、西名みずほ、日髙徹郎
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いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。