歌手たちの功績が光る、あっぱれな「ばらの騎士」
2022年に始まったジョナサン・ノット指揮、東京交響楽団によるシュトラウス・オペラも、「サロメ」、「エレクトラ」ときて、ついに「ばらの騎士」である。1幕ものの前2者とは違って、長丁場の3幕構成。しかもカットなしだという。今度も演奏会形式で、うまくいくだろうか?――そんな心配は、杞憂に終わったようだ。
なんといっても、歌手たちの功績が大きい。筆頭格は、ゾフィー役のエルザ・ブノワ。低音域もニュアンス豊かに歌い、言葉がよく聞こえるソプラノで、声楽的に優等。であるばかりでなく、喜びにあってさえどこか不安げなのがいい。「聖(きよ)らかな天国のばらのよう/そう思いません?」と、オクタヴィアンを見上げるあの微妙な表情。おかげで、どこか声量まかせに見えた同役のカトリオーナ・モリソンの格も上がる。ふたりによる、ここ第2幕の二重唱と第3幕おわりのそれが、この日もっとも美しかった。
存在感でいえば、オックス男爵のアルベルト・ペーゼンドルファー。演技も発語もごつごつしているが、サー・トーマス・アレンの演出が、よくある「下種男爵」路線ゆえ、かえってそれがチャームとなる。第2幕さいごのホ音を長く長く続けるだけで、大喝采だ。
そして、元帥夫人のミア・パーション。ドイツ語の扱いを難じることもできようが、表現の多彩さは一番と言える。第1幕、「砂時計」の一言をさらりと言った直後、「ああ、カンカン」で別人のようにあたたかな声になる芸当。裏でちゃっかり性愛を楽しむ役の割に、これも演出のせいか、振るまいが高貴にすぎる気もするけれど、ベテラン歌手の矜持が、階級間のすったもんだを回収するトップ貴族の威厳へと、そのまま繋がっていた。
シュトラウスが管弦楽にこれでもかと音を投じたのは、それが本来ピットに居るからだろう。それを舞台に上げるにあたっては、よほどの慎重を要するはず。それがノットの指揮だと、第3幕のドタバタ劇など、テンポが急速なこともあって超カオス状態。抒情味もそこかしこにあったが、「配慮」が音楽を矮小化すると考えたのか、この人のシンフォニック歌劇スト(?)ぶりは「サロメ」から一貫していた。
何はともあれ、東響は、企画側・演奏者側とも、あっぱれな仕事をしたと思う。
(舩木篤也)
公演データ
東京交響楽団 リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」(演奏会形式)
12月15日(日)14:00ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット(東京交響楽団 音楽監督)
演出監修:サー・トーマス・アレン
元帥夫人:ミア・パーション
オクタヴィアン:カトリオーナ・モリソン
ゾフィー:エルザ・ブノワ
オックス男爵:アルベルト・ペーゼンドルファー
ファーニナル:マルクス・アイヒェ
マリアンネ/帽子屋:渡邊仁美
ヴァルツァッキ:澤武紀行
アンニーナノ:中島郁子
警部/公証人:河野鉄平
元帥夫人家執事/料理屋の主人:髙梨英次郎
テノール歌手:村上公太
動物売り/ファーニナル家執事:下村将太
合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京交響楽団
プログラム
リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」
(演奏会形式/全3幕/ドイツ語上演/日本語字幕付)
ふなき・あつや
1967年生まれ。広島大学、東京大学大学院、ブレーメン大学に学ぶ。19世紀ドイツを中心テーマに、「読売新聞」で演奏評、NHK-FMで音楽番組の解説を担当するほか、雑誌等でも執筆。東京藝術大学ほかではドイツ語講師を務める。共著に『魅惑のオペラ・ニーベルングの指環』(小学館)、共訳書に『アドルノ 音楽・メディア論』(平凡社)など。