昼と夜の世界が幻想的肯定的に描かれたマーラーの7番
東フィルの首席指揮者バッティストーニによるマーラーの交響曲第7番。「夜の歌」と題されるが、2つの中間楽章のタイトルゆえのこと。終楽章は明らかに昼の音楽だし、第1楽章もそうかもしれない。昼と夜の世界が幻想的かつ肯定的に描かれたのが、本日の演奏だった。
バッティストーニは大オーケストラが揃うステージに現れるとほとんど時を置かずにタクトを振り下ろす。第1楽章は緊迫感に満ち、リズムは切れがいい。テナー・ホルン(関係者によればバリトンを使用)を始めとする金管群がすばらしい。その後も騎馬やロマンティックな主題、展開部へと音楽はめまぐるしく変化するが、音楽の流れは自然。特に印象的だったのは、ハープのアルペジオ(317小節あたり)。まるで魔法をかけたように憧れの色に染められた空間へと一変。この楽章の聴き所の一つだろう。
第2楽章「夜の歌」の冒頭で呼び交わし合うホルン、木管による鳥の囀(さえず)り、微(かす)かなカウベル。夜の世界を歩く足取りは軽やかで愉しげだ。それはスケルツォ楽章も同様。特徴的なリズムの間を、ワルツを踊りながら走り回るヴァイオリンに不気味さはない。ヴァイオリン群のサウンドは明るくて軽い。まさに指示通りの「流れるように」であり、「影のように」儚い。二つ目の「夜の音楽」も同様。そこには不吉な影や皮肉や冷笑はない。コンサートマスターのソロは明るい音色で気品を湛え、マンドリンとギターの爪弾きも含めて一篇のメルヘンか、薄明に照らされた夜の情景のよう。
終楽章を始める前にバッティストーニは長い時間を置いた。夢から覚めて、昼の世界に戻るのに時間が必要とでもいうように。実際、終楽章は眩(まばゆ)い陽光のもとでの祭りだが、決してカオスではない。軽快なアレグロのテンポで表現は率直で明快。そして有機的な流れと室内楽的な親密さ。青春の高揚と熱狂に満ちた輝かしいフィナーレだった。ホルン、クラリネット、ティンパニ、そして何よりもバッティに喝采!
(那須田務)
公演データ
東京フィルハーモニー交響楽団第1009回サントリー定期シリーズ
11月19日(火)19:00サントリーホール大ホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ(首席指揮者)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
プログラム
マーラー:交響曲第7番「夜の歌」
なすだ・つとむ
音楽評論家。ドイツ・ケルン大学修士(M.A.)。89年から執筆活動を始める。現在『音楽の友』の演奏会批評を担当。ジャンルは古楽を始めとしてクラシック全般。近著に「古楽夜話」(音楽之友社)、「教会暦で楽しむバッハの教会カンタータ」(春秋社)等。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。