悲劇を掘り下げる雄弁このうえない管弦楽と適材適所の歌手
前奏曲からチョン・ミョンフンのねらいは明快だった。減7度や減5度などの音程が多用された悲劇的な状況を、デュナーミクの幅を広くとって鋭くえぐる。一つひとつのナンバーでも同様に、管弦楽がこのシェイクスピア原作の悲劇における、人物の特異な感情とその変化に深く呼応し、声と管弦楽が密接にからまってドラマが掘り下げられていく。
「マクベス」は1847年の初演から18年後、パリで上演されるにあたって大きな改訂が施された。このため管弦楽法も初期のものと後期のものが混在している。だが、第1幕のマクベス夫人のカヴァティーナなど、初演時のままの型どおりの伴奏でも、この指揮者の手にかかると、強い野望をいだく夫人の心の移り変わりと高揚を、たくみに写実していることに気づかされる。夫人役のヴィットリア・イェオは低音から高音まで自在で、力強いパッセージも絶叫せず、やわらかく表現できるのがいい。
その後、マクベスがダンカン王を殺害したのちの夫人との二重唱は改定後の音楽で、こちらの管弦楽は劇的な緊張が立体的、かつ緻密に描写されて比類ない。マクベス役のセバスティアン・カターナは力強い声による性格表現が巧みだが、ここではイェオとともに、巧妙なソットヴォーチェで微妙な心理劇を演じた。
その後は、第1幕の終わりまで、聴き手に息もつかせない。マクダフとバンクォーが王の殺害を知らせたのちの全管弦楽と合唱をふくめた全員の絶叫。6重唱と合唱が無伴奏で救いを求める音楽。そこまでが蓄積したうえでの、全員のユニゾンによるカタルシスのような壮大なアンサンブル。それらが途切れず、雄渾(ゆうこん)な流れとなって迫ってくる。悲劇を緊密に構成するヴェルディの力の前に言葉を失い、それを引き出すチョン・ミョンフンの力に感服させられる。
各幕についてこうして記す紙数はないが、管弦楽のすべての音に意味があたえられ、悲劇は進行していった。バンクォー役のアルベルト・ペーゼンドルファーは、必ずしもヴェルディらしい声ではないが、力強く高貴な歌唱が光った。マクダフ役のステファノ・セッコは第3幕のアリアで、流麗なレガートに悲痛な響きをたたえ、強い存在感を示した。
これで楽譜に批判校訂版が使われ、慣習的なカットを加えずに演奏されていたら、なおよかったと思うが、リハーサル時間の関係もあったのかもしれない。いずれにせよ、これほど管弦楽が雄弁で、声との相乗効果でドラマが深掘りされる「マクベス」は、きわめて得難い。
(香原斗志)
※取材は9月15日の公演
公演データ
東京フィルハーモニー交響楽団 第1004回オーチャード定期演奏会
ヴェルディ:歌劇「マクベス」 全4幕・日本語字幕付き原語(イタリア語)上演
9月15日(日)15:00 Bunkamuraオーチャードホール、17日(火)19:00サントリーホール大ホール、19日(木)19:00東京オペラシティコンサートホール
指揮:チョン・ミョンフン(名誉音楽監督)
マクベス(バリトン):セバスティアン・カターナ
マクベス夫人(ソプラノ):ヴィットリア・イェオ
バンクォー(バス):アルベルト・ペーゼンドルファー
マクダフ(テノール):ステファノ・セッコ
マルコム(テノール):小原啓楼
侍女(メゾ・ソプラノ):但馬由香
医者(バス):伊藤貴之
マクベスの従者、刺客、伝令(バリトン):市川宥一郎
第一の幻影(バリトン):山本竜介
第二の幻影(ソプラノ):北原瑠美
第三の幻影(ソプラノ):吉田桃子
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、「イタリア・オペラを疑え!」(アルテスパブリッシング)。ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」、「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。