東京二期会オペラ劇場 プッチーニ「蝶々夫人」

幅広い世代を吸引する宮本亞門演出の「蝶々夫人」

1952年(昭和27年)に発足した声楽家集団、二期会(東京)が「蝶々夫人」を上演するのは1957年以来通算13回目。うち9回が栗山昌良の演出だったが、プッチーニ没後100周年を記念する2024年の舞台には2019年に新しく制作した宮本亞門演出の再演で臨んだ。東京での初演後、共同制作先の独ドレスデンのザクセン州立歌劇場、米サンフランシスコ歌劇場を回り、5年ぶりに東京へ戻ってくる間にコロナ禍が発生、衣装を担当した髙田賢三が感染により死去、世界的デザイナー最後の美しい仕事に再び出会える機会ともなった。バルテック・マシスの映像は劇場を移るたびに更新され、今回の東京のプロジェクションマッピングは、5年前とほぼ別物だ。さらに照明がマルク・ハインツから喜多村貴に替わったので、舞台全体の色彩感は微妙に異なっている。

髙田賢三デザインの衣装、喜多村貴の照明が舞台を彩る 写真提供:公益財団法人東京二期会 撮影:寺司正彦
髙田賢三デザインの衣装、喜多村貴の照明が舞台を彩る 写真提供:公益財団法人東京二期会 撮影:寺司正彦

宮本演出の大きな特徴は、ピンカートンが死の床で息子に蝶々夫人との出会いから別れまでをしたためた手紙を渡し、息子が日本人の母親の軌跡を追う設定にある。管弦楽の序奏が始まる前に病室を舞台にしたプロローグを置き、米国の正妻ケイトと息子が今も「なさぬ仲」のまま、スズキの存在に依存する状況が示される。息子役の俳優(Chionが好演)は全編ほぼ出ずっぱり、アリアや重唱で歌に集中したい瞬間でも観客の視線がバラける煩わしさはある半面、自刃を何とか止めようと(自身の幼少期である)子役の背中を押し、蝶々さんの部屋に導く場面で「母子邂逅(かいこう)」のバーチャルリアリティ(仮想現実)を現出させるなど、一定の劇的効果をあげたことは確かだ。

ピンカートンが死の床で息子に手紙を渡す、宮本演出ならではのシーン 写真提供:公益財団法人東京二期会 撮影:寺司正彦
ピンカートンが死の床で息子に手紙を渡す、宮本演出ならではのシーン 写真提供:公益財団法人東京二期会 撮影:寺司正彦

ただ蝶々さんが「芸者に戻る」先行きを嘆く際に宴席のシルエットを出したり、管弦楽に鳥の声が入るところで映像の鳥が飛んだりする情報過多は、オペラよりもミュージカルに近い手法といえる。近年のミュージカル全盛、同一作品ロングラン続出のすぐ隣で、オペラの観客動員数が長らく伸び悩んでいる現状を打開するには、うんとミュージカルに接近したアプローチで敷居を下げ、より幅広い世代を吸引する必要もある。18日初日の多様な層の客席をみる限り、宮本演出の採用は有効打だったように思える。

エッティンガーが緩急自在の指揮で東京フィルを鳴らしきる

桂冠指揮者エッティンガーと東京フィルの創造した管弦楽の響きもまた、イタリア流儀よりもドイツのムジークテアーター(音楽劇場)系の緻密なドラマトゥルギーに立脚したもので、宮本演出とも抜群の相性を示した。バリトン歌手出身のエッティンガーは欧米や母国イスラエルで数多くのオペラを指揮してきた。「もちろん『蝶々夫人』もたくさん手がけましたが、日本デビュー20周年、53歳にして初めて日本人を主人公にした名作をかつて常任指揮者を務めた東京フィルの皆さんと演奏できるのは、私のキャリアの新しい1章に違いありません」といい、今回の上演に賭ける意気込みは凄まじかった。隅々まで磨き抜かれ繊細かつダイナミック、歌手のブレスも完全に頭に入れた緩急自在の指揮は彼のマーラー解釈も彷彿とさせ、東京フィルを鳴らし切った。「彼らは100%以上を私に与えてくれました」

 

キャストはダブルで2公演ずつ。19日初日組のゲネプロ(会場総練習=17日)も取材したが、18日初日組とはかなりテイストが異なる。18日の蝶々さんの大村、スズキの花房は5年前の初演でも同じ組だったが、すでにベテランの域に達した大村がパワーよりも細やかな声色のコントロールで演唱に陰影を与えたのに対し、花房は伸び盛りの美声をふんだんに投入する対照をみせた。ピンカートンの城は暴れ過ぎず「懺悔(ざんげ)後悔の結末」が不自然にならない工夫を凝らし、シャープレスの今井俊輔は慈悲深い「領事様」よりも冷静な「事件の目撃者」の側面に深みのある美声を生かした。ユニークだったのは、本来テノールのゴローをバリトンの近藤圭が歌い、(蝶々さん、ピンカートン、スズキ、シャープレスの)四角形ではなくゴローを加えた五角形のドラマを成立させたこと。バレエの素養もあるスマートな歌手(近藤)がクールに演じて、強い存在感を放った。

(池田卓夫)

ミュージカルに接近したアプローチの演出と、存在感のある歌手陣の演唱で、幅広い世代を吸引した 写真提供:公益財団法人東京二期会 撮影:寺司正彦
ミュージカルに接近したアプローチの演出と、存在感のある歌手陣の演唱で、幅広い世代を吸引した 写真提供:公益財団法人東京二期会 撮影:寺司正彦

公演データ

東京二期会オペラ劇場 プッチーニ「蝶々夫人」
オペラ全3幕 日本語および英語 字幕付き原語(イタリア語)上演

7月18(木)18:30 東京文化会館 大ホール

演出:宮本亞門
指揮:ダン・エッティンガー

蝶々夫人:大村博美(ソプラノ)
ピンカートン:城宏憲(テノール)
シャープレス:今井俊輔(バリトン)
スズキ:花房英里子(メゾソプラノ)
ゴロー:近藤圭(バリトン)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団
合唱指揮:粂原裕介

その他の公演日程や出演者等、データの詳細は東京二期会ホームページをご参照ください。
https://nikikai.jp/lineup/butterfly2024/

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池田 卓夫

いけだ・たくお

2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。

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