井上道義が都響とラスト・ダンス!幸福感で満たされた2つの「6番」
999回定期演奏会に、6番と6番。77歳の井上道義が東京都交響楽団とのラスト・ダンスに選んだのは、ベートーヴェンとショスタコーヴィチだった。2024年5月30日の夜、東京文化会館は満席。
いずれも作曲家30歳代の創作だが、指揮者のアイディアは全容も細部も明解。ベートーヴェンのヘ長調交響曲Op.68は小編成(8-6-4-3-2)の対向配置で簡明に構築し、ショスタコーヴィチのロ短調交響曲Op.54では16型の大編成を構えた。前者では言葉尻を切り上げるような発語できりっとした利発さも活かしつつタイトな造型を、後者では対比的に爆発的な放射を揮うかと思いきや、水平方向の息づかいを保って多彩な要素を溶かし込むようにしなやかな流れを導いていった。
激化してもむやみに勢いに傾斜せず、明確な表現を丁寧に結実させていく方向性は共通している。ゆったりと落ち着いた画布を保ち、ピクチャレスクな表現のうちに感情の類型を簡潔に描出した「田園交響曲」に対し、不穏な情況を背景にもちながら私的な感情へ向かうようなショスタコーヴィチの第6番でも全体として甘美な流麗さは保たれる。筆遣いは変えつつ、両曲とも響きは明瞭。都響の響きの柔らかな潤沢さと精妙なアンサンブルが見事に活きた。
ベートーヴェンでは殊に澄明な響きと清新な情感が際立ち、嵐を経て、さらに澄む空気の変化まで新鮮に表現。ショスタコーヴィチはラルゴの冒頭楽章から悲壮に重たすぎることなく、アレグロのスケルツォ、プレストのフィナーレでも滑らかな推進力がどこか円満に全体を包み込んだ。
嵐や闘争が本懐なのではない。多義的な表情をしのばせつつも、喜びの情調が優勢で、満たされた幸福感のようなものが結実する。筆致や音像、画風や背景の上では明確なコントラストを打ち出しながら、両曲を通じて歓喜の感興がそれぞれに興味深く表現された。
(青澤隆明)
公演データ
東京都交響楽団第999回定期演奏会Aシリーズ
2024年5月30日(木)19:00 東京文化会館
指揮:井上道義
管弦楽:東京都交響楽団
プログラム
ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 Op.68「田園」
ショスタコーヴィチ:交響曲第6番 ロ短調 Op.54
あおさわ・たかあきら
音楽評論家。東京外国語大学英米語学科卒。クラシック音楽を中心に、評論、エッセイ、解説、インタビューなどを執筆。主な著書に「現代のピアニスト30ーアリアと変奏」(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの「ピアニストは語る」(講談社現代新書)、「ピアニストを生きるー清水和音の思想」(音楽之友社)。