知的なアプローチと腕の立つ名人芸で捧(ささ)げるリヒテルへのオマージュ
アレクサンドル・メルニコフはピリオド楽器からモダンのピアノまで自在に弾きこなす才人として、すっかりおなじみの存在。トッパンホールでは2021年1月に、新旧の鍵盤楽器4台を並べ、曲の成立年代に合わせて弾き分けるユニークな試みを敢行した。今回は心の師、リヒテルにオマージュを捧げる構成だ。
前半にはベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番とシューマンの交響的練習曲を並べた。リヒテルが遺(のこ)した名盤の組み合わせを思い起こす人もいるだろう。ホール備え付けのスタインウェイで、メルニコフはモダン楽器の機能を駆使し、幅広いダイナミクスや、タッチの硬軟をキメ細かくコントロール。ベートーヴェンの第1楽章では、それらのコントラストを極大化して、作品の構造を骨太に明かした。優美な第2楽章も、さらさら流れる中に種々の仕掛けを忍ばせ、豊富なニュアンスを交錯させた。
シューマンでは冒頭主題から左手でドス黒い低音を効かせて、ゴツゴツした彫りの深い表情を引き出すスケール大きな展開。中間に置いた2曲の補遺(遺作ⅣとⅤ)では、じっくりテンポを落として沈潜する抒情(じょじょう)を醸し、フィナーレに向けて加速する後段との鮮やかな対比を作り上げた。
後半のロシアものは、一段と本領が発揮された。プロコフィエフ「束(つか)の間の幻影」もリヒテルが得意とした作品。メルニコフは全20曲を、連続した小窓をのぞくかのように巧みな変化をつけて演出。ややドライな語り口で素早く情感を切り替える知的なアプローチで引きつけた。
ラフマニノフ「ショパンの主題による変奏曲」では、腕の立つ名人芸が際だった。余裕しゃくしゃくのパワフルなピアニズムで圧倒し、陰うつな雰囲気の濃厚な表出にロシアン・ピアニズムの底流をうかがわせた。スクリャービンを含む3曲のアンコールも同じ系統の筋道立った仕上がり。
(深瀬満)
公演データ
アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)
2024年3月13日(水)19:00トッパンホール
プログラム
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90
シューマン:交響的練習曲 Op.13
プロコフィエフ:束の間の幻影 Op.22
ラフマニノフ:ショパンの主題による変奏曲 Op.22
アンコール
ラフマニノフ:13の前奏曲 Op.32より 第5曲 ト長調、第10曲 ロ短調
スクリャービン:2つの詩曲 Op.32より 第1曲 嬰ヘ長調
ふかせ・みちる
音楽ジャーナリスト。早大卒。一般紙の音楽担当記者を経て、広く書き手として活動。音楽界やアーティストの動向を追いかける。専門誌やウェブ・メディア、CDのライナーノート等に寄稿。ディスク評やオーディオ評論も手がける。