イタリアの至宝レオ・ヌッチ、有終の美 ヴェルディ・プログラム

80代でなお世界最高のバリトン 力みがない圧巻の歌唱

4月16日に82歳になるレオ・ヌッチ。ソロ・コンサートを開催するだけでも驚異だが、そのパフォーマンスに圧倒されて言葉も出ない。何十年も前から現代最高のバリトンで、私自身、1990年代から内外で幾度となく聴いてきたが、衰えを見つけるのが難しい。いまなおヌッチを超えるバリトンはいないと思わされた。

驚異の歌声を聴かせた「現代最高のバリトン」レオ・ヌッチ (c)Mirella Verile
驚異の歌声を聴かせた「現代最高のバリトン」レオ・ヌッチ (c)Mirella Verile

1曲目の「道化師」の前口上から、鮮やかな言葉さばきと揺らぎのない朗々たる声の響きが両立し、トニオという鬱屈(うっくつ)した男の精神がホールを満たす。私をふくめ多くの聴き手は、すでにここで心を奪われた。割れんばかりの拍手を呼び、「椿姫」「二人のフォスカリ」「マクベス」と、アリアを歌い重ねて非の打ちどころがない。

 

2月7日のピアノ伴奏のリサイタルも圧巻の歌唱だったが、この日はさらに調子がよく、弱音から中音もコントロールされている。もっとも驚かされるのは、オーケストラを突き抜ける力強い響きが、少しも力まずに発せられることだ。自然に息をするようにして、だれにも真似(まね)できない高密度で品格がある響きが得られる。

 

フランチェスコ・イヴァン・チャンパ指揮の東京フィルも、奇跡としか思えない歌唱と客席の盛り上がりに押されるように、表情の豊かさを増していった。そして、後半の「仮面舞踏会」と「ドン・カルロ」は、深い悲劇的心情がにじみ涙を誘われる。その深さは重ねた年輪に呼応すると思われるが、一般にはもっと若くても、歌唱が衰えて情感を掬(すく)いきれない。しかし、ヌッチが維持する堅固な歌唱フォームには、情感が漏れる余地がない。

温かい人柄もヌッチの魅力のひとつ@Rakuten Ticket
温かい人柄もヌッチの魅力のひとつ@Rakuten Ticket

総立ちの客席に応えたアンコールの「リゴレット」と「アンドレア・シェニエ」で、この日最高ともいうべき歌唱を披露できることも、想像を絶する。舞台から伝わる温かい人柄も心地いい。公演は「有終の美」と銘打たれていたが、この水準でそれはないだろう。再来日が待ち遠しい。

(香原斗志)

公演データ

イタリアの至宝レオ・ヌッチ、有終の美 ヴェルディ・プログラム

2024年2月10日(土) 14:00サントリーホール 大ホール

指揮:フランチェスコ・イヴァン・チャンパ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

プログラム
ルッジェーロ・レオンカヴァッロ:
歌劇「道化師」より〝プロローグ〟『ごめんください、紳士淑女の皆さん!』
ジュゼッペ・ヴェルディ:
歌劇「椿姫」より〝プロヴァンスの海と陸〟
歌劇「二人のフォスカリ」より〝ああ、年老いた心よ〟
歌劇「マクベス」より〝哀れみも、誉れも、愛も〟
歌劇「仮面舞踏会」より〝お前こそ心を汚すもの〟
歌劇「ドン・カルロ」より〝ロドリーゴの死〟『私の最期の日』 ほか

アンコール
歌劇「リゴレット」より〝悪魔め、鬼め〟
歌劇「アンドレア・シェニエ」より〝祖国を裏切る者〟

香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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