<第40回>フェデリカ・ロンバルディ(ソプラノ)

メトロポリタン・オペラでドンナ・アンナを歌うロンバルディ (C)Karen Almond/Metropolitan Opera
メトロポリタン・オペラでドンナ・アンナを歌うロンバルディ (C)Karen Almond/Metropolitan Opera

叙情的な声で千変万化の感情を自然に表現
短期間で評価を高めたイタリアの新星

この人の歌唱には、いつも深い感情移入を強いられてしまう。評価しようとする前に心を奪われている自分がいる。フェデリカ・ロンバルディ。1989年にイタリアのエミリオ・ロマーニャ州、チェゼーナで生まれたソプラノである。

 

この7月には日本でロンバルディが出演するオペラを、2回続けて鑑賞する機会があった。METライブビューイングの「ドン・ジョヴァンニ」ではドンナ・アンナ、英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズンの「フィガロの結婚」ではアルマヴィーヴァ伯爵夫人。ともにモーツァルトのダ・ポンテ三部作の重要な役だ。

 

叙情的で透明感がある美しい声で、歌唱フォームがしっかり構築され、どこにも歌い崩すところがない。端正な歌唱だといえるが、それなのに、どちらの役でも声に乗せられているのは、一本調子とは正反対の複雑な感情である。

 

ドンナ・アンナなら、ドン・ジョヴァンニに襲われた挙げ句、父を殺された悲痛さが感じられる一方で、たんなる悲しみや憎しみを超えた、ジョヴァンニにどこか引かれながら、その気持ちを打ち消そうとしているような、入り組んだ心が浮かび上がる。伯爵夫人なら、伯爵に顧みられない寂しさを核に、状況を克服したい気持ち、諦念、そして、自分も道を外してしまおうかというそこはかとない願望までが入り混じって伝わる。

 

だから、たとえば「フィガロの結婚」のフィナーレ手前で、自分の非を認めざるを得なくなって謝罪する伯爵に、「私はあなたより素直だから『はい』と言いますPiù docile io sono, e dico di sì」と答えるとき、この短いフレーズのなかに、夫人の思いが幾重にもにじみ出て涙を誘う。もちろん、その単純ではない思いは、ダ・ポンテとモーツァルトが台本と音楽のなかに仕込んだもので、ロンバルディはそれを細大漏らさずくみ上げていると感じる。

声質を変えずに複雑な感情を描く極上のテクニック

長身で美形。とはいえ、冷たい美人というよりはキュートで、表情にやさしさが染み出すようで、視覚的にも歌唱表現を支えている。

 

ただし、豊かな声が湧き出るというタイプではない。声は自然に息に乗せられているが、それをすぐに放つのではなく、顔の上半分の骨格に十分に行きわたらせて響きが作られている。その結果、声は練られて上等な光沢を帯び、質量も加わる。また、十分に練り込まれているから、音高や強弱を変化させても声質はまったく変わらない。

 

その声質が一定した声に、千変万化の感情が載せられるのである。声質を変化させたりアクセントを強調したりして感情を表現する歌手は多い。しかし、ロンバルディのように声質を変えずに複雑な心のうちを表現できる歌手は少ない。いうまでもないが、後者のほうがはるかに音楽的で、聴き手にとっては得られる感動が深い。

 

「ラ・ボエーム」のミミや「シモン・ボッカネグラ」のアメーリアなども絶品で、当然ながら、世界中の一流劇場が彼女を放っておかない。ミラノ・スカラ座へのデビューが2017年で、以後、ベルリン・ドイツ・オペラ、バイエルン州立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場、英国ロイヤル・オペラ・ハウス……と立て続けにデビューし、いずれも常連になっている。

 

来日はまだのようだが、高嶺の花になる前に、ぜひ日本でも生の声を聴かせてほしいが、ひとまずこの8月末から9月、METライブビューイングのアンコール上映でその名唱を堪能できる。

 

METライブビューイング アンコール上映

香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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