<第39回>アルベルト・ガザーレ(バリトン)

アルベルト・ガザーレ
アルベルト・ガザーレ

ノーブルな美声によるスタイリッシュな歌唱
ヴェルディの歌いどきを迎えている

6月に行われたパレルモ・マッシモ劇場の日本公演で、ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」のジョルジョ・ジェルモンを歌ったアルベルト・ガザーレ。初日こそ声が抜けきらずに音程に不安定なところがあったが、その後は尻上がりに調子を上げた。

 

そうなると、このバリトンはすこぶる魅力的である。ノーブルな美声はほかのだれにも望めないガザーレだけのものだし、その声で紡がれるレガートには、聴いていて鳥肌が立つほどの気品がある。フォルテの声量がさらに豊かで強い押し出しが備わっていれば、レナート・ブルゾンやレオ・ヌッチに並ぶバリトンとして評価されただろう。だが、私はむしろ、表現は少し小ぶりでも、それゆえにスタイリッシュなガザーレの歌唱を、大仰な表現で聴衆を沸かせるバリトンよりも好ましく感じている。

 

はじめてガザーレを聴いてから、もうかなりたった。1998年8月、アレーナ・ディ・ヴェローナでダニエル・オーレンが指揮したヴェルディ「仮面舞踏会」だった。レナート役の声がとにかくノーブルでレガートも美しかったという強い印象は、四半世紀が経過しても消えない。

 

それはヴェローナのダル・アバコ音楽院を最優秀の成績で卒業し、往年の名テノール、カルロ・ベルゴンツィのもとでヴェルディのレパートリーを学んだガザーレの、メジャーな劇場へのデビュー公演だった。その前にパルマ王立劇場には出演していたが、このヴェローナでの歌唱を機にリッカルド・ムーティの目にも止まり、その後のキャリが開けている。

尊大だが安っぽくならない理想のジェルモン

日本の聴衆の前にお目見えしたのは、2000年のミラノ・スカラ座日本公演が最初だったと思う。ムーティの指揮で「リゴレット」の表題役を歌った。

 

インタビューした際、ガザーレはそのときのことを「マエストロ・ムーティは色彩とピアニッシモを執拗(しつよう)なまでに要求しました。おそらく、声にさまざまな色彩を乗せる力があるという理由で、ムーティは私を選んだのだと思います」と語った。

 

ガザーレが歌ったリゴレットは、押し出しの強さを求めるなら少し足りなかった。だからヌッチのようには客席を沸かせられないが、ノーブルな声に色彩が豊かに加わって、音楽的には十分に満足がいく歌唱だった。

 

足りなかったのはむしろ、ヴェルディを歌うために求められる演劇面も含めた円熟味だったが、それは近年、申し分ない。

 

パレルモ・マッシモ劇場のジェルモンは、歩き方からたたずまいにまで貴族と見まがう品位があり、それがノーブルな声や、円熟したがゆえの尊大さと一体となり、ヴィオレッタへのプレッシャーに感じられた。ジェルモンが少しでも荒っぽいと、ヴィオレッタの悲劇が安っぽくなってしまう。その点で理想的なジェルモンだった。

 

「ブルゾンは30代、40代はドニゼッティばかり歌い、50代になってヴェルディを歌いはじめました。バリトンはそのように声を発展させるのが理想です」と語ったガザーレ。自身はキャリアの初期からヴェルディに挑んだものの、いまこそ歌いどきを迎えた、と感じているようだ。その感覚はまちがっていない。円熟のヴェルディをまた聴かせてほしい。

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香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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