日本でも人気のテノール、アントニーノ・シラグーザが61歳にしてロドルフォ役にデビューしたボローニャ市立劇場のプッチーニ「ラ・ボエーム」、そして、音楽監督ミケーレ・マリオッティのワーグナーへのデビューで、劇場としても50年ぶりの上演というローマ歌劇場のシーズン開幕「ローエングリン」について報告する。
シラグーザのロドルフォは61歳でもみずみずしい
11月25日、シラグーザは初めてロドルフォ役を歌った。その声は相変わらず若々しくみずみずしい。いまなおロドルフォには軽めの声で、声を張ることで滑らかさが失われる部分もあるが、若い詩人そのもので、声も30代くらいにしか聴こえない。
ベルギーの若いマエストロ、マルティン・デンディーフェルの指揮で、テンポはやや速めだが起伏に富み、それがドラマと密着している。オーケストラの内声部もしっかり聴かせるので、プッチーニが管弦楽で描いた具象的な情景が鮮やかに浮かび上がった。だが、それが19世紀の情景を思わせるので、時代を1990年代に移したというグレアム・ヴィックの演出と齟齬を来した面はあった。
ミミ役のメリッサ・プルネルは立派な声ではあるが、その分、レガートが少し上ずっていたのが気になった。光っていたのはマルチェッロのルーカ・ガッリで、質感の高い声で伸びやかに歌う。ムゼッタ役のフランチェスカ・ベニテスも健闘し、コッリーネ役のアドリアーノ・グラミーニも端正でみずみずしいバスだった。
翌日も別のキャストによる「ラ・ボエーム」を鑑賞した。ミミ役のカレン・ガルデアサバルは叙情的で情感に富み、ミミらしさが高い水準で満たされた。マルチェッロ役のヴィットリオ・プラートも悪くない。ムゼッタ役のジュリアーナ・ジャンファルドーニは、以前より少し強くなった声で鮮やかに歌い、この役のはっちゃけた面がよく表現された。コッリーネ役のダヴィデ・ジャングレゴーリオも正統的なイタリアのバスだ。
ロドルフォ役はステファン・ポップ。2024年に東京・春・音楽祭で同役を歌ったときよりは調子が大分よく、湧き上がる声でレガートを紡ぎ、制御されたピアニッシモを要所に交えた。スケールを保ちつつも細やかに制御されていた。
両日とも音楽的には満足のいく「ラ・ボエーム」だった。
マリオッティ初のワーグナー
11月27日。首都の歌劇場のシーズン開幕日は正装の観客であふれ、それなりの服装で臨んだつもりだが気後れした。50年ぶり、ドイツ語上演はローマで初めてという「ローエングリン」。指揮のマリオッティ、演出のダミアーノ・ミキエレット、題名役のディミトリー・コルチャックのそれぞれにとって初挑戦だった。
舞台はミキエレットらしく、抽象的かつ象徴性に富んでいる。表層的な読み替えではなく作品を根底から読み直し、再構成しているから難解だが、考えすぎずに眺めると見えてくるものもある。ローエングリンの白い衣装は、正義と無垢の象徴だろう。天井からは卵型の物体がぶら下がるが、卵は再生の象徴で、それが銀色なのは、純粋無垢を意味しているのではないだろうか。テルラムントに勝利したローエングリンが、滴る銀を自分の肌に塗りつける場面など、とりわけ象徴的だった。
具象性も過剰な装飾も極力排除された演出は、マリオッティの指揮とも重なった。その音楽は無駄が削ぎ落され、それだけに色彩の豊かさや微妙な表情が強調される。たとえば、清らかな弦がエルザの存在感を際立てる。また、マリオッティらしく緩急や強弱が呼吸のように自然かつ精密で、ドラマを推進しながら起伏を作り上げる。とにかく隅々まで精緻で、しかし劇的な力強さにも事欠かない。色彩豊かで壮麗な合唱も特筆に値した。
題名役のコルチャックは甘く麗しい響きで、フレージングが実に優雅。ピアニッシモの1音までが制御されている。ベルカント・オペラでの洗練された歌唱が失われやしないか、と心配にはなるが、深い解釈に根差した見事なロールデビューだった。エルザ役のジェニファー・ホロウェイは声が均質で音色が美しく、高音も無理がない。激しさと純粋さがバランスし、悲劇性も強調された、理想的なエルザだった。オルトルート役のエカテリーナ・グバノヴァは多少軽めで、声に不均衡さはあっても表現力がすぐれ、テルラムント役のトマス・トマソンにも劇的な存在感があった。
50年ぶりの「ローエングリン」は、ドイツ流の重厚さと異なる明るめの響きや、ベルカントの流れを汲む題名役など、いい意味でのイタリア色も織り交ぜながら、ローマ歌劇場の底力を示した。
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。










