今年も注目のオペラ公演が目白押しだが、数が多いとつい見過ごしてしまうものも現れる。だが、この公演だけは、絶対に聴き逃せないと思っている。
(香原斗志)
バリトンの池内響の成長と活躍がめざましい。昨秋、井上道義の最後のオペラとして話題になった共同制作のプッチーニ「ラ・ボエーム」で、画家の藤田嗣治をモチーフにしたマルチェッロ役を演じ、スタイリッシュな歌唱を披露した。若く貧しい芸術家を見事に表現したが、なにより質感高い響きと美しい言葉に支えられた、日本人離れした歌唱に酔いしれた。
また、この4月には、広上淳一が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮したヴェルディ「仮面舞踏会」でレナート役を歌い、レガートが美しいノーブルな歌を聴かせた。妻が自分の親友と浮気をしていると知ったのちの絶望や怒りも、声の色彩やニュアンスを変化させて、気品ある表現を崩さずに表現する。だから、音楽的に高い満足感を得ながら芝居に引き込まれる。

いまや若い世代の日本人バリトンのなかで圧倒的なエースだが、それだけに歌ってほしいと思っていた役がある。モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」のタイトルロールである。池内はこの役を、2015年に日生劇場で行われたデビュー公演以来、歌っていない。だが、稀代の好色男で、貴族でもあるジョヴァンニを、説得力をもって歌うには、30代ならではのみずみずしさがあふれながら、力強さも増してきた、いまの池内の声こそがふさわしいと思えてならないのだ。しかも、あのノーブルな歌唱だから、理想的なドン・ジョヴァンニになるに違いない。
そんなことを夢想していたら、池内の「ドン・ジョヴァンニ」が、この7月に実現するという。
主催するのは、小澤征爾の愛弟子の指揮者、村上寿昭が立ち上げたオペラカンパニー「東京オペラNEXT」。音楽家がたがいを磨き合い、すぐれた演奏を実現させる。プロとアマチュアと聴き手が刺激し合い、それぞれの音楽生活を充実させる。日本人の演奏家の弱みを強みに転換する。結果として、よりよい演奏会を提供する——。そんな目標を掲げる団体で、いわゆる歌手団体ではない。歌手はもちろん、管弦楽団、ピアニスト、指揮者らで構成された、日本にはほかにないタイプの本格的なカンパニーである。

しかも、共演陣がすごい。ドンナ・アンナ役の迫田美帆は、いまや日本を代表するソプラノである。サントリーホール オペラ・アカデミーにいたころから傑出していたが、昨年、佐渡裕プロデュースオペラとして、兵庫県立芸術文化センターで上演されたプッチーニ「蝶々夫人」では、表現が細部まで行き届きつつ感情の機微が十二分に表現された、圧巻の歌唱を聴かせた。
この4月、東京・春・音楽祭で「お話と演奏で紐解くオペラ」として上演された「蝶々夫人」では、歌唱がさらに洗練され、神がかり的なまでだった。迫田自身がまっすぐ前を向き、意思をもって進む、一途な強さをもった女性なので、どの角度から考えても最高のドンナ・アンナになるに違いない。

ほかにも、ドンナ・エルヴィーラ役に歌唱の安定度で比類ない藤井麻美(メゾ・ソプラノ)、騎士長役にデニス・ビシュニャら、上質な歌手がそろった。そして、東京オペラNEXT音楽監督の村上がピアノを弾く。会場はコンサートホールのHakuju Hallだが、力がある太田麻衣子が演出を担当し、朝岡聡のナビゲーションもあるので、初心者も安心。
だが、なにより、池内と迫田の競演を思い描いただけで興奮冷めやらなくなる。

公演データ
東京オペラNEXT モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」
7月5日(土)16:00 Hakuju Hall
モーツァルト:「ドン・ジョヴァンニ」セミステージ形式・原語上演・字幕付き・全2幕
音楽監督・ピアノ:村上寿昭
演出:太田麻衣子
プロデュース:天羽明惠
ドン・ジョヴァンニ:池内響
ドンナ・アンナ:迫田美帆
ドン・オッターヴィオ:西山詩苑
騎士長:デニス・ビシュニャ
ドンナ・エルヴィーラ:藤井麻美
レポレッロ:山下浩司
マゼット:佐藤由基
ツェルリーナ:加藤楓
ナビゲーター:朝岡聡
室内楽:NEXT管弦楽団

かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。